カシュガル・ホージャ
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イスハーキーヤ(黒山党)
アーファーキーヤ(白山党)
→詳細は「白山党」を参照
ホージャの別の系統はアフマド・カーサーニーの長男のイーシャーニ・カラーン[2]>(ムハンマド・アミーン)のものであった。
最初に東トルキスタンを訪れたのはムハンマド・アミーンの子のホージャ・ユースフ(? - 1652年/53年)であった。ホージャ・ユースフの子がホージャ・アファークであった[3]。この系統は、アーファーキーヤまたはイーシャーニーヤまたはアクタグルク(白山党)と呼ばれた[3]。
白山党は、黒山党(イスハーキーヤ)との抗争に敗北し、東トルキスタンを追放され、1671年から1672年にかけて西寧に移り[3]、そこで布教に成功し、おおくの中国ムスリム信徒(回民)を獲得した[3]。
白山党の一派にアーファーク統がある[2]。
アーファーク統の人物
- ブルハン・アッディーン
- ホージャ・ジャハーン - ブルハン・アッディーンの弟。
- ホージャ・サリムサク - ブルハン・アッディーンの子。
- ジャハーンギール・ホージャ - ブルハン・アッディーンの孫。ホージャ・サリムサクの子。1820年代に清朝に対してホージャ復活運動を展開した。
- ワリー・ハン - ジャハーンギール・ホージャの子。のちヤクブ・ベクの下に逃れるが、毒殺される。
- ブズルグ・ホージャ