カイシェドリース出身のバシリオウスカスは、1999年から2007年にかけて、母国リトアニアを含むバルト三国のカート選手権において、活躍して複数のタイトルを獲得。
2008年以降はフォーミュラーカーレースにステップアップし、イタリア・フォーミュラ・ルノーなどに参戦した。2009年はFIA フォーミュラ2選手権にステップアップを果たし、国際レベルで争うリトアニア出身のドライバーの先駆者となった。フォーミュラ2参戦初年度であったが、イモラ・サーキットではポールポジションを獲得して優勝を果たし、2位1回、3位2回と堅実な結果を残してシリーズ7位で終えた。翌年も引き続き参戦するが、スポンサーの撤退等により参戦が危ぶまれる厳しいシーズンを送る。前年度よりもスコアを伸ばして、ポールポジションを2回獲得し、2位2回、3位3回、最終戦で再び優勝するなど気を吐いてランキング4位を獲得した。しかし、スポンサーが見つからず資金の確保ができなかった為、2011年度はF2から撤退し、以降はバルト三国で行われるスポーツカーレースに散発的に参戦する以外は目立ったモータースポーツ活動は行っていない。
バシリオウスカスは2012年2月にリトアニアのメディアに対し、さらなるレース活動のスポンサー資金を見つけるのが難しいことを理由に、今後は法律家の道に専念すると発表した[2]。