カツィナ
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カツィナ Katsina | |
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州都 | |
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ゴバラウ市場 | |
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愛称: KT | |
| 北緯12度59分 東経7度36分 / 北緯12.983度 東経7.600度座標: 北緯12度59分 東経7度36分 / 北緯12.983度 東経7.600度 | |
| 国 |
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| 州 | カツィナ州 |
| 設置 | 1987年 |
| 政府 | |
| • 議長 | Hamisu Gambo |
| • 首長 | Alhaji Abdulmumini Kabir Usman |
| 面積 | |
| • 合計 | 142 km2 |
| 人口 (2007年) | |
| • 合計 | 459,022人 |
| 郵便番号 |
820 |
| ISO 3166コード | NG.KT.KA |
カツィナ (Katsina) はナイジェリア北部のカツィナ州の州都[1]。ソコトの260km東、カノの135km北西に位置し、ニジェール国境が近い。2007年の人口は約45.9万人である[2]。バンバラマメや綿、黍、モロコシの集散地である[1]。ピーナッツ油や鉄も造られている。
イスラム教が多数派である。
民族
歴史
1100年頃、約21kmの城壁に囲まれたカツィナが設立された[1]。 イスラム化以前のカツィナでは、「サルキ」と呼ばれる支配者は、失政をすると死刑になった。
13世紀前半に、アンブッタイ王が最初の王朝を拓いた。
1348年、カツィナ首長国初のムスリムのムハンマド・コラウ王が、旧カツィナ市の中心にギデン・コラウ王宮を建てた。 これは、ハウサランドではダウラ・カノ・ザッザウに並ぶ最古の宮殿の1つである[3]。
16世紀末には、高名な学者を輩出するようになった。
17世紀~18世紀、カツィナはハウサ諸王国の商業の中心で、7つのハウサ人都市国家の中で最大だった。
18世紀中盤、内紛が起き何百人もの市民が殺害された。
1788年、強大なゴビル王国がマラディを征服し、カツィナに進軍した。 サルキン王がこれを撃退し、多くのゴビル人を殺害した。 ゴビル王国はルマ町を攻撃し、サルキン王を殺害した。 その後カツィナも攻撃された。
19世紀以前には、カツィナは広大な土地を治めていた。 南東にカノ、南にザッザウ、西にザムファラ、東にダウラ、北東にダマガラム、南東にビルニン・グワリと接していた。 主要都市はヤンゴト、ゴザキ、マスカ、タサワ、ガザワ、インガワ、マタズ、ルマ、クワタルクワシ、ビルニン・バカネ、カロフィ、マラディ、グウィワ、カネン・バカシェ等だった。
1801年、ゴゾ王はシャリーアに偏った政治をしたとして暗殺された。
1903年、アブバカル・ダン・イブラヒム王はイギリスに降伏し、北部ナイジェリア保護領に併合された。


1914年、英領ナイジェリア植民地に移行した。
1950年代、北部ナイジェリア初の中学校が開校した。
1960年、ナイジェリアがイギリスから独立した。 カツィナは北部州に編入された。
1967年、新設された北部中央州に編入された。
現在の首長(アミール)はアルハジ・アブドゥルムミニ・カビル・ウスマンである。