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カトリック松が峰教会

栃木県宇都宮市の教会 From Wikipedia, the free encyclopedia

カトリック松が峰教会(カトリックまつがみねきょうかい)は、栃木県宇都宮市松が峰にあるカトリック教会の教会およびその聖堂である。1888年(明治21年)に宇都宮天主公教会として創立された。[1]

国 日本の旗 日本
創設日 1888年
献堂日 1932年
概要 カトリック松が峰教会, 国 ...
カトリック松が峰教会
北緯36度33分29.3秒 東経139度52分52.8秒
国 日本の旗 日本
教派 カトリック教会
歴史
創設日 1888年
献堂日 1932年
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現在の聖堂は、スイス人建築家マックス・ヒンデルの設計により1932年(昭和7年)に建築された。鉄筋コンクリート造の躯体に宇都宮特産の大谷石を用いたロマネスク・リヴァイヴァル建築で、正面に八角形の尖塔を頂く双塔を備える。現存する大谷石建築としては最大級の規模とされる。[2][3]

1998年(平成10年)12月11日に国の登録有形文化財(建造物)に登録されたほか、日本遺産「地下迷宮の秘密を探る旅〜大谷石文化が息づくまち宇都宮〜」の構成文化財となっている。[4][5]

歴史

創立と初期の宣教

1888年(明治21年)、パリ外国宣教会のカジャック神父によって川向町に宇都宮天主公教会が創立された。1895年(明治28年)に現在地へ移転し、1910年(明治43年)には木造平屋建ての聖堂が建設された[6]。

カジャック神父は宇都宮を拠点として宣教活動を行い、1927年(昭和2年)頃から本格的な聖堂建設の準備を進めたが、1930年(昭和5年)に死去した[7][8]。

現聖堂の建設

1930年(昭和5年)に第二代主任司祭としてコッサール神父が就任し、1932年(昭和7年)には第三代主任司祭としてプージェ神父が赴任した[9]。

現聖堂は1931年(昭和6年)に着工し、スイス人建築家マックス・ヒンデルの設計によって1932年(昭和7年)に竣工した。施工は宮内建築事務所の宮内初太郎が統括し、石工棟梁を安野半吾が務めた[10]。聖堂は鉄筋コンクリート造で、外壁に大谷石を用い、正面に双塔を備える[11]。同年11月23日にはシャンボン東京大司教の司式による聖別式が行われた[12]。

戦時下と宇都宮空襲

太平洋戦争中には、教会のアンジェラスの鐘が金属回収のため供出された[13]。1945年(昭和20年)7月12日の宇都宮空襲では聖堂も被災し、屋根が焼失したが、大谷石を用いた建物は倒壊を免れた。戦後、聖堂は間もなく以前の姿に復旧された[14][15]。

戦後

戦後は信徒組織の再建や教会活動の整備が進められ、1960年代以降には信徒会や広報活動などが組織化された。1970年(昭和45年)には信者会館が完成した[16]。

文化財としての評価

1998年(平成10年)12月11日、聖堂は国の登録有形文化財(建造物)に登録された[17]。2003年(平成15年)2月にはうつのみや百景に選定された[18]。

歴代司祭

1988年(昭和63年)刊行の『カトリック松が峰教会宣教100年の歩み』には、1891年以降の主任司祭、助任司祭などの歴代聖職者が掲載されている[19]。

主任司祭

同書に記載された主任司祭の在任期間は以下の通りである[20]。

さらに見る 氏名, 所属 ...
氏名 所属 主任司祭としての在任期間
カヂャク パリ外国宣教会 1891年 - 1930年
コッサール パリ外国宣教会 1930年 - 1931年
プージェ パリ外国宣教会 1931年 - 1937年
シャレット フランシスコ会 1938年 - 1960年10月
野口義美 フランシスコ会 1960年11月 - 1966年9月、1977年1月 - 1980年
ラクロア フランシスコ会 1966年9月 - 1970年3月
グルベス フランシスコ会 1970年4月 - 1971年、1987年5月 - 1988年4月時点
マルシール フランシスコ会 1971年3月 - 1972年9月
小池如安 フランシスコ会 1972年10月 - 1975年1月
ロア フランシスコ会 1975年2月 - 1976年12月
戸村悦夫 フランシスコ会 1980年4月 - 1987年4月
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なお、シャレットは主任司祭就任前の1937年4月から1938年まで助任司祭を務め、野口義美は1972年10月から1976年12月まで、ラクロアは1960年11月から1966年9月まで、グルベスは1971年5月から1972年まで、小池如安は1966年から1970年3月まで、戸村悦夫は1975年から1980年まで、それぞれ助任司祭としても在任した[21]。

1988年以降

1988年以降については、公開されている教会・教区資料などから一部の在任状況を確認することができる。1988年4月には、それまで日光教会の主任司祭を務めていた山内利男が松が峰教会へ転任した[22]。

1997年(平成9年)には、パリ外国宣教会のワレ・ジャンが浦和教区松が峰教会の主任司祭を務めていたことが、カトリック東京大司教区の資料で確認されている[23]。

2008年(平成20年)のさいたま教区の司牧訪問記録では、人事異動後に御前ザビエルが松が峰教会へ新たに着任したことが記録されている[24]。御前は主任司祭を務め[25]、2017年(平成29年)に松が峰教会から前橋教会へ転任した[26]。

2017年4月17日付のさいたま教区人事では、山口一彦が松が峰教会の担当司祭、ネルソン・カバシシが協力司祭に任命された[27]。山口はその後主任司祭を務め、2023年(令和5年)4月10日付の人事異動で主任を解かれ、後任の主任司祭として髙橋史人が任命された[28]。

2026年(令和8年)現在も髙橋史人が松が峰教会を担当している[29]。

参考文献

  • 「日本近代建築総覧」日本建築学会
  • NHK「美の壺」制作班編「NHK美の壺 大谷石」NHK出版

脚注

関連項目

外部リンク

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