カピラ城
インド・ネパール国境付近に位置する釈迦の出身地
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名称
由来・縁起
釈迦族の住まいがあり、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)はここで育った。
地名の由来については、一説には、釈迦以前にこの地にカピラ (Kapila) という黄色い髪の毛をしたリシ(仙人)が住んでいたことからそう名づけられたという。また一説には、カピラを祀っていたことに由来する、とも。
南伝仏典によると、釈迦族の祖先である甘庶王(かんしょおう、Okkāka、オッカーカ)はサーケタという地で王国を築いていた。しかし、その四男五女が王に追放されてヒマラヤの山側に至ると、カピラ仙がいるこの土地に落ち着き、ここで1つの王国を築いたという。その初代の王名はオッカーカ・ムカ (Okkāka mukha) という。北伝仏典では4王子とする。
カピラ城からヴァイシャリー(毘舎離)までは51由旬、またアノマー河まで30由旬、王舎城からは60由旬あったという[要出典]。
釈迦晩年に、毘瑠璃王により殲滅された。西暦5世紀の初頭、法顕がこの地を訪れた際、城址はすでに荒地になっていて、わずかに民家が数10戸があったのみと『法顕伝』に記されている。
位置についての諸説
カピラヴァストゥは、法顕が5世紀に、玄奘が7世紀に訪れてそれについて書いたように、ブッダ入滅後1000年ほどは仏教徒の巡礼の地であったという。だがその後、この地域で仏教は影響力を失い、ヒンドゥー教やイスラム教がとってかわり、それらの宗教のもとにあったインドやネパールの国家ではブッダのことは語られなくなり、やがて14世紀ごろにはカピラヴァストゥの正確な場所が分からなくなった[注釈 2]。
そうしてカピラヴァストゥは忘れ去られ、長らくの間一部の専門家だけが興味を持っていたにすぎなかったが、再び人々の大きな関心事となって浮上したのは20世紀も後半になってからのことだった。ネパール側とインド側で、愛国心などもからみ、位置を巡って異なった見解が唱えられるようになったのである。
一説では、現在の場所でいうネパールのタライ地方とされ、ティラウラコットだと見なそうとする動きがある。また別の説では現在のインドのウッタル・プラデーシュ州シッダールトナガル県ピプラーワー(ピプラフワとも) といわれる[3]。ネパール側とインド側の見解の相違は解消されそうもない。ネパール側はピプラーワーはブッダが頻繁に訪れた王宮だと見なしているのに対して、インド側はピプラーワーこそがカピラヴァストゥだと定義しているのである。
日本では立正大学の研究員が1970年代にネパール当局との共同発表でティラウラコットをカピラヴァストゥと断定し、長澤和俊は一般人向けの多くの新書でこれが正解だとしているが、学界の通説ではない。坂詰秀一らは1980年代後半にタライ平原の仏教遺跡2箇所で発掘調査を行っている[4]。
ネパールの主張
ネパールは世界遺産の候補地として、UNESCOに1996年9月2日付でテライ平原西部のルパンデヒ郡ルンビニ地区およびティラウラコットをブッタ生誕地として申請し、ルンビニ地区のみ1997年に候補地リストに掲載されている[注釈 3]。だがUNESCOがティラウラコットに関しては専門家らの見解を求めるべきだとした[2]結果、前年にルンビニの現地調査を行ったブラッドフォード大学の考古学班[注釈 4]が2001年に派遣されることになった。この調査で紀元前1000年—6世紀ごろの陶器類は見つかったものの現存する遺跡類はブッダよりも後の時代のものだとされた[8]。
ネパールは世界遺産委員会との協議を継続すると、2012年には指定地域を測量図上に示し[注釈 5]、2018年の答申では世界遺産指定地域内で進行している開発行為ほか、第43回世界遺産委員会(2019年)までにICOMOSの質問事項の対応策をまとめて報告するよう勧告を受けた[11]。
インドの主張

ピプラーワーについては、1898年にイギリス駐在官W・C・ペッペ(William Claxton Peppe –1946年)が、この地から経典[注釈 6]ならびに「ガウタマ・シッダールタの遺骨及びその一族の遺骨」であると記された壺を発掘し[12]、また1970年代の再度の発掘によって、「カピラヴァストゥ」という文字が刻まれた印章などが出土していることから[14]、この地ではないかとも推察されるが、まだ断定はされていない。特にカピラ城であるならば当然に出土するはずの集落跡が発見されていない[15]。
ギャラリー
参考文献
- Peppé, William Claxton; Smith, V.A (1898). Smith, Vincent A [communicated, with a note]. “Art. XXIII.—The Piprāhwā Stūpa, containing relics of Buddha” (英語). Journal of the Royal Asiatic Society 30 (3): 573-588. doi:10.1017/S0035869X00025739. NCID BA60923279. - 挿絵2葉
- Coningham, Robin (1996年9月2日) (英語). ユネスコ使節の報告と勧告:仏陀生誕地ルンビニの反応監視 (Reactive Monitoring Mission to Lumbini, Birthplace of Lord Buddha : Report and Recommendations of an UNESCO mission). Milou, Jean Francois [撮影] (Studio Milou Architecture SARL). UNESCO 2010年11月10日閲覧。 - ブラッドフォード大学考古科学学部コニガム博士と建築写真家ミローによる報告書
- (英語) (pdf) 世界遺産リスト ルンビニ(ネパール)666 rev (World Heritage List > Lumbini (Nepal) 666 rev). ICOMOS. (1996年9月2日). pp. 79-83
- “Advisory Bodies Evaluations: Lumbini, the Birthplace of the Lord Buddha” (pdf) (英語). UNESCO. 2010年11月15日閲覧。
- “議決CONF 208 VIII.C:世界遺産候補一覧登録:仏陀生誕地ルンビニ(ネパール) (Decision : CONF 208 VIII.C: Inscription: Lumbini, the Birthplace of the Lord Buddha (Nepal))” (英語) (1997年). 2018年10月21日閲覧。 - UNESCO世界遺産委員会第21回会合 (CONF 208)
- Hellier, Chris (2001年3月 - 4月). “仏陀生誕地に関する諸説 (Competing Claims on Buddha's Hometown)” (英語). 2010年11月10日閲覧。
- 田辺和子「[研究ノート]覚王山 日泰寺所蔵折本写本(日泰寺本)と水牛寺所蔵折本写本(水牛寺本)の比較研究」『パーリ学仏教文化学』第26巻、Society for the Study of Pali and Buddhist Culture、2012年、193-221頁、doi:10.20769/jpbs.26.0_193、ISSN 0914-8604。
- “地図 > 仏陀生誕地の申請対象地域 (Maps > Lumbini, the Birthplace of the Lord Buddha - Map of the inscribed property)” (英語). UNESCO (2012年). 2018年10月21日閲覧。
- “概念図 > 仏陀生誕地の申請対象地域(画像処理済) (Maps > Lumbini, the Birthplace of the Lord Buddha - Ortophotomap of the inscribed property)” (英語). UNESCO (2012年). 2018年10月21日閲覧。
- “13. ルンビニ、仏陀生誕の地(ネパール)(C 666改) (Lumbini, the Birthplace of the Lord Buddha (Nepal) (C 666rev) )” (英語) (pdf). (2018). pp. 25-28
