カムラ・パサード=ビセッサー
From Wikipedia, the free encyclopedia
カムラ・パサード=ビセッサー(英語: Kamla Persad-Bissessar、1952年4月22日 - )は、トリニダード・トバゴの政治家。2010年から2015年まで同国首相(第7代)を務め、2025年に首相に再就任した(第10代)。統一国民会議(UNC)党首[2]。女性として初めて、同国の司法長官や野党院内総務、首相を務めた。シパリア出身[3]。
| カムラ・パサード=ビセッサー | |
|---|---|
| Kamla Persad-Bissessar | |
カムラ・パサード=ビセッサー (2025年) | |
| 就任 2025年5月1日 | |
| 大統領 | クリスティン・カンガルー |
| 前任者 | スチュアート・ヤング |
| 任期 2010年5月26日 – 2015年9月9日 | |
| 大統領 | ジョージ・マックスウェル・リチャーズ アンソニー・カルモナ |
| 前任者 | パトリック・マニング |
| 後任者 | キース・ロウリー |
| 最大野党党首 | |
| 任期 2015年9月9日 – 2025年5月1日 | |
| 首相 | キース・ロウリー |
| 前任者 | キース・ロウリー |
| 後任者 | スチュアート・ヤング |
| 任期 2010年2月25日 – 2010年5月26日 | |
| 首相 | パトリック・マニング |
| 前任者 | バスデオ・パンデイ |
| 後任者 | キース・ロウリー |
| 任期 2006年4月26日 – 2007年11月8日 | |
| 首相 | パトリック・マニング |
| 前任者 | バスデオ・パンデイ |
| 後任者 | バスデオ・パンデイ |
| 就任 2010年1月24日 | |
| 前任者 | バスデオ・パンデイ |
| 任期 2010年5月26日 – 2011年10月28日 | |
| 前任者 | パトリック・マニング |
| 後任者 | ジュリア・ギラード |
| 司法長官 | |
| 任期 2001年10月5日 – 2001年12月24日 | |
| 首相 | バスデオ・パンデイ |
| 前任者 | ラメシュ・マハラジ |
| 後任者 | グレンダ・モリーン |
| 任期 1995年11月27日 – 1996年2月2日 | |
| 首相 | バスデオ・パンデイ |
| 前任者 | キース・ソビオン |
| 後任者 | ラメシュ・マハラジ |
| 教育相 | |
| 任期 1999年10月22日 – 2001年10月4日 | |
| 首相 | バスデオ・パンデイ |
| 前任者 | アデシュ・ナナン |
| 後任者 | ガンダ・シン |
| シパリア選出国会議員 | |
| 就任 1995年11月6日 | |
| 前任者 | Sahid Hosein |
| 得票差 | 10,141 (51.6%) |
| 個人情報 | |
| 生誕 | 1952年4月22日(74歳) トリニダード・トバゴ、ペナル |
| 政党 | 統一国民会議 |
| 協力政党 | 人民のパートナーシップ (2010-present) |
| 配偶者 | グレゴリー・ビセッサー |
| 出身校 | 西インド諸島大学 |
| 宗教 | ヒンドゥー教、キリスト教[1] |
| 公式サイト | http://www.opm.gov.tt/ |
政権を奪取した2010年の総選挙ではUNC党首として、4党からなる政党連合・人民のパートナーシップを率いた。
経歴
西インド諸島大学、イギリスのノーウッド工業専門学校、ヒュー・ウッディング法学校で学び、教育学と法学の名誉学士号を取得。2006年、トリニダード島のアーサー・ロック・ジャック経営大学院から経営学修士号 (EMBA) を取得した[4]。
1995年からシパリア選挙区から国会議員に選出されている。同年、ラメシュ・マハラジ司法長官の代行を務め、マハラジが党を離れた2001年にも再任された。2000年12月22日に発足した統一国民会議政権では、教育相に任命された。
2006年4月25日、パサード=ビセッサーは多くの野党議員から野党院内総務就任の支持を受けた[5]。ジョージ・マックスウェル・リチャーズ大統領は、ロンドンに保有していた銀行口座を適切に申告しなかったとしてバスデオ・パンデイが有罪判決を受けた[6]ため、野党院内総務が不在であるとの声明を出した[7]。バスデオは上訴したが、翌日、パサード=ビセッサーは野党院内総務に指名された。
2010年1月24日の統一国民会議 (UNC)党首選挙でパサード=ビセッサーは、党創設者のパンデイを破って当選した。2月25日にはUNCの国会議員の支持を受けて、正式に野党院内総務に指名された。
2010年5月24日の総選挙は、選挙の前倒しに打って出た与党の人民国家運動を「人民のパートナーシップ」が破り、政権交代が実現した。パサード=ビセッサーは女性で初めて、同国の首相とイギリス連邦の議長となった。2011年10月28日の英連邦首脳会合で、議長職はジュリア・ギラードに引き継がれた。
2015年の総選挙で敗北し、2020年8月の総選挙でも人民国民運動に敗北したが2025年4月の総選挙で勝利し、同年5月1日に2度目の首相の座に就いた[8]。在任中は隣国ベネズエラの対応に追われることとなり、パサード=ビセッサーはCALICOMがベネズエラの強権体制を助長していると非難[9]。同年10月28日、ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領がパサード=ビセッサーをペルソナ・ノン・グラータと宣言すると、パサード=ビセッサーは「何故私がベネズエラに行きたいと思うのか」と反論した[10]。