カヤカベ教
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信仰の二重構造
語源
タブー
口伝
カヤカベ教では一切文書を用いず、口伝で経文や由来を伝えている。
口伝の一つ「オツタエ」によれば、その始祖は薩摩伊集院生まれの宮原真宅(みやはらしんたく)という人物であるという。宮原は元は山伏で神道にも通じていたが、京都の本願寺へ入り、22年間修行し、「宗教坊(すうきょうぼう)」という名前を与えられた。修行を終えた宗教坊は本願寺から経典を持って薩摩に帰り、地下で浄土真宗の教えを布教していたが、密告されて捕らえられ、処刑された。
その弟子の中から「親元」と呼ばれる教祖が選ばれ、代々隠れ念仏の教えが伝えられた。宗教坊から数えて10代目の親元が吉永親幸(市蔵)という人物で、以後、親元は世襲制に変わる[5]。親幸は厳しい弾圧から逃れるために、京都の本山(本願寺)とのつながりを絶ち、浄土真宗の教えに、地元に伝わる霧島山岳信仰を取り入れ、現在のカヤカベの基礎を作ったという。
組織
真宗と違ってカヤカベは「講」ではなく「郡(こい)」というグループで組織されている。「郡」は親元を中心に中親、郡親、知識、一般教徒という階層になっている。
行事
行事は夜十時以降の深夜に行われる。お経を上げていても外部の人が来たらすぐにやめ、その人が帰ってから再開する。大きな行事としては旧正月、春秋の彼岸には親元の家に集まるものが年に数回あり、今は報恩講もそうした行事のときに同時に行っている。年一回の霧島神宮の参拝もいまも続いている。
葬式は、死人が出てすぐの日には、信者だけで「オミカケ」「オマッタテ」という儀式を行う。これは深夜に集まって念仏を唱える。それが終わった後で神主を呼んで改めて神式の葬儀を行う。
行事の勤行には「オツタエ」のほか、「オキョウ」「オナグラ」「オカイゲ」などがある。「オキョウ」は結跏趺坐で誦し、念仏を唱えるときは上体を前後に揺さぶる。そして語られる話の節目節目に、聞き手の「ハイー」という合いの手が入る。