カルガレニの戦い
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| カルガレニの戦い | |
|---|---|
| 戦争:オーストリア・トルコ戦争 | |
| 年月日:1595年8月23日 | |
| 場所:現在のルーマニアのジュルジュ県カルガレニ | |
| 結果:ワラキア公国の戦術的勝利 | |
| 交戦勢力 | |
| 指導者・指揮官 | |
| コジャ・シナン・パシャ | |
| 戦力 | |
| ワラキア兵 10,000 傭兵 5,000 |
兵力 100,000 うち参戦 30,000-40,000[1][2] |
| 損害 | |
| 1,000[要出典] | 10,000-15,000[要出典] |
カルガレニの戦い(カルガレニのたたかい、英語: Battle of Călugăreni)は、1595年8月23日(ユリウス暦8月13日)、ミハイ勇敢公が率いるワラキア公国軍とコジャ・シナン・パシャ率いるオスマン帝国軍との間で行われた戦闘である。
この戦いは16世紀末から17世紀初頭にかけて繰り広げられたオスマン帝国とヨーロッパ諸国とのオーストリア・トルコ戦争の一翼をなすものだったが、この時オスマン帝国軍は約100,000名の兵力を有していた。ただしその全数がこの戦いに参加していたわけではなく、実数は30,000名から40,000名程度であると推定される。一方のワラキア軍は、トランシルヴァニアからのセーケイ人傭兵隊を含む約16,000名の兵と12門の大型野砲を有していた。
兵力の差が大きいため、ミハイ勇敢公は自軍をネアジロヴ川付近の湿地近くに配置することで数の不利を補うことを狙った。この場所はカルガレニ村の南に位置し、ネアジロヴ川にその支流が注ぎ込むところで地盤は軟弱であり、さらに森に囲まれるという地形だった。対岸からはネアジロヴ川にかかる小橋があり、これは軍を渡河させる上で重要な地点だった。
