カルケミシュの戦い
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背景
前段(メギドの戦い)
戦闘
新バビロニア軍を率いていたのはナボポラッサルの息子ネブカドネザル2世だった。カルケミシュで激突した両軍だったが、エジプト・アッシリア軍は新バビロニア軍に撃破された。アッシリア帝国はこの敗戦で独立国家としては姿を消し、撤退したエジプト王国は古代オリエント世界で大国として再び浮上することはなかった。新バビロニア帝国は紀元前605年以後、経済的な絶頂期を迎える。 [7]
大英博物館収蔵のネブカドネザルの年代記は次のように記している。「ネブカドネザル王は川を渡り、カルケミシュに布陣したエジプト軍に向かっていった。彼らは互いに戦い、エジプト軍は逃げて行った。王は敵を打ち負かし、完膚なきまでに叩きのめした。バビロニア軍の剣先が届かないほど素早く戦場から逃げ去ったエジプト軍も、ハマトでバビロニア軍に敗れ、故郷に逃げ延びた者は一人もいなかった。これを以て、ネブカドネザル王はハマトの地を征服した」。 [8] カルケミシュの戦いについては旧約聖書のエレミヤ書46:3-12でも触れられている。なお、歴代誌下35:20-24に記載されている戦闘は、カルケミシュの戦いではなく、その4年前に行われたメギドの戦いである。