エレミヤ書
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筆者エレミヤについて

52章からなる。36章には、ヨヤキム(エホヤキム)王の第4年(紀元前605年)に、エレミヤが書記バルクに言葉を書き取らせたが、その巻物は王により焼かれてしまったので別の巻物に再び書いたとされている[1]。全体的には神ヤハウェに従わないイスラエル国民がバビロンによって滅ぼされることをエレミヤが預言する内容となっている[2][3][4][5]。イスラエル国民にとっては望ましい話ではなかったため、エレミヤは酷い仕打ちを受けることになる[6][7][8][9]。最終章でエルサレムの宮殿は焼かれ、民はバビロンへ捕囚にされる[10]。
エレミヤが預言を始めたのは、ヨシヤ王の治世の第13年[11]であるとされている(紀元前627年)。エレミヤは、バビロニアによるエルサレム陥落後の紀元前585年頃まで活動を続けたと考えられる。
ヘブライ語聖書とギリシア語訳の相違
ギリシア語訳の七十人訳聖書とヘブライ語のマソラ本文を比較すると、諸民族への託宣の位置が異なるだけでなく、8分の1ほど短い。七十人訳には幾つかの部分に差異や欠落がある。
七十人訳の25章13節まではヘブライ語版と対応しているが、ヘブライ語版の25章の残りに対応するのは32章である。その後の33章から50章までがヘブライ語版の26章から43章までに対応する。七十人訳の51章はヘブライ語版の44章と45章にあたる。52章はヘブライ語版の52章に対応する。残りの、ヘブライ語聖書の46-51章の対応は複雑で、七十人訳の26章が46章、29章が47章、31章が48章、30章と25章14節以降が49章、27章が50章、28章が51章にあたる。
以前は、ギリシア語に翻訳されたときに短縮されたと推測されることも多かったが、死海文書の発見により、この見解は覆された。死海文書に含まれていた『エレミヤ書』の断片は七十人訳に対応しており、むしろ、マソラ本文が編集と加筆によって長くなったことが明らかになった。[要出典]
構成
大まかには、年代順に記事は配列されていると考えられるが、必ずしも厳密なものではない。
25章13節には神の言葉が記されている巻物が言及されているので、この巻物の内容がエレミヤ書25章までの基本部分を構成していると考えられることが多いが、明確にゼデキヤ王の時代に言及している部分(21章)もあり、申命記史家的編集を経ていると考えられる。七十人訳聖書においては、この25章13節に諸国民への託宣が続いている(ヘブライ語聖書では、46-51章に置かれている)。
エレミヤ書の前半の成立過程は概ね上述のように推測される。 後半には散文部分が多い。
1914年に公表されたS. モーヴィンケルの研究以来、
- A - 詩文による預言
- B - エレミヤに関する物語
- C - 申命記的な様式によく似た散文の説教
- D - その他
が区別されるのが一般的である。
初期の預言はホセアの預言に非常によく似ている。
エレミヤに関する物語部分は、彼の書記であったとされるバルクに帰されることが多いが、申命記史家的な編集がどの程度であるか、という問題は残る。
Cは、申命記史家的な編集者によると考えられることが多いが、預言者自身の言葉の言い換えを含んでいるかもしれない。
申命記改革(ヨシヤ改革)に対して
『列王記』下22-23章では、ヨシヤ王の第18年(紀元前622年)にエルサレム神殿で、大祭司ヒルキヤにより「律法の書」が発見されたことが報告されている。この書は、現在の『申命記』の主要部分であると考えられており、『原申命記』(Urdeuteronomium)と呼ばれる。この書の内容に従い、ヨシヤ王の時代にエルサレム以外の聖所が廃止された(祭儀集中)。
11章で繰り返される「契約の言葉」とは、『原申命記』のことであると考えられる。3節でこの「契約の言葉」の違反者に対して呪いが語られることから明らかなように、エレミヤは基本的にこの改革に好意的であったが、この改革が伴った祭儀集中は地方聖所で活動していたレビ人祭司たちの地位を脅かすものであったため、アナトトの自分の一族から命を狙われたことが報告されている。この時期のエレミヤの苦悩は、「告白録」と呼ばれる部分[12]に書かれている。
異教的な祭儀や社会的不正に対する批判を、エレミヤは申命記改革と共有していたが、申命記改革(ヨシヤ改革)の問題性を彼は指摘してもいる。紀元前609年に、申命記改革の推進者であったヨシヤ王は、エジプト王ネコによってメギド(エルサレムのはるか北方、カルメル山の南方)で殺害された。これに引き続き、ヨシヤの子エホアハズが後継者として民によって選ばれたが、エジプト王ネコは彼を退位させ、代わりにヨヤキム(エホヤキム)を王位につけた(紀元前608年)。このヨヤキム王の第1年に語られたとされる説教が26章に収録されている。8章では、「主の律法」を保持していることを誇る預言者たちや祭司たちに対して審判が語られている。これは、当時の申命記改革の推進者に対する批判であると考えられる。書記たちが律法を捏造し、その律法に基づいて、破滅が迫っている状況で偽りの平和を語ったことが批判されている。
申命記改革は、エルサレム神殿の地位を必然的に高めることになったが、エレミヤは、エルサレムの選びを絶対的なものとは見なさなかった。26章では、民が罪を悔い改めなければ、かつて破壊されたシロのように、エルサレムも廃墟になると預言される。最初、この預言を聞いた者たちはエレミヤを死刑にしようとしたが、数人の長老たちがエルサレムの荒廃を預言した預言者ミカ(『ミカ書』は彼に帰されている)を引き合いに出してエレミヤを弁護した。
ただし、エルサレムに対する審判を語ることが命がけだったという状況に変わりはない。26章20節以下では、エレミヤと同様の審判預言を語っていたウリヤと呼ばれる預言者が、逃亡先のエジプトから連れ戻されて王によって殺されたことが報告されている。26章最終節の24節によれば、エレミヤはシャファンの子アヒカムによって庇護されていたために殺されずにすんだ。シャファンはヨシヤ王時代の改革推進者の一人であった。
エレミヤ書が申命記史家的な編集を後に受けたことはほぼ確実であると考えられているが、編集者たちは申命記改革に対するエレミヤの批判を削除しはしなかった。