カルゴポリ
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カルゴポリの創建年代は不明だが、1146年の年代記にその名が初出する。カルゴポリはノヴゴロド公国の北方の交易拠点で、スラブ人(ポモールと呼ばれる北への入植民)の最北の居住地の一つであった。カルゴポリに関する記録は甚だ少ないが、13世紀・14世紀のビャルマランド(Bjarmaland, 白海南岸のノース人による呼び名)の交易の中心地であったと考えられる。1447年にはモスクワ大公ドミトリー・ドンスコイの孫、ドミトリー・シェミャーカが、同じくドミトリー・ドンスコイの孫でモスクワ大公となったヴァシーリー2世の追手から逃れカルゴポリへ来ている。
大公国の首都モスクワと、当時のロシア唯一の貿易港アルハンゲリスクを結ぶ水路・陸路の途中に位置するカルゴポリはロシアでも有数の豊かな町となり、特にイギリスの商人(ムスコヴィ会社)が16世紀半ばにアルハンゲリスク経由のロシア・西欧間貿易を始めて以来物流が増えた。モスクワ大公国の後継争いに端を発する大動乱の時期、カルゴポリはポーランド・リトアニア共和国軍の攻撃に耐えた。また大動乱の最中の1608年には農民反乱軍の指導者イヴァン・ボロトニコフはカルゴポリで処刑された。
ロシア帝国がバルト海に進出しサンクトペテルブルクを築いた後、白海経由の交易は衰え、カルゴポリも次第に衰退した。しかしカルゴポリも含むポモールの人々はシベリアへの探検に熱心であり、カルゴポリ出身のアレクサンドル・バラノフは東シベリアからアラスカへ渡り初代のロシア領アメリカ(アラスカ)総督となった。
