カルロス菅野 From Wikipedia, the free encyclopedia 出生名 菅野 真吾生誕 (1957-07-21) 1957年7月21日(68歳)出身地 日本広島県広島市学歴 大阪工業大学工学部カルロス 菅野出生名 菅野 真吾生誕 (1957-07-21) 1957年7月21日(68歳)出身地 日本広島県広島市学歴 大阪工業大学工学部ジャンル ラテン音楽フュージョン職業 フュージョンプレイヤーパーカッショニスト音楽プロデューサー担当楽器 パーカッション活動期間 1979年 -共同作業者 松岡直也グループトニーズ・ショウオルケスタ・デ・ラ・ルス熱帯JAZZ楽団公式サイト カルロス菅野 カルロス 菅野(カルロス かんの、1957年7月21日[1] - )は、フュージョンプレイヤー、パーカッショニスト、音楽プロデューサーである。本名は菅野 真吾(かんの しんご)[2]。東京都出身[2]。 幼少時代を東京、浜松および横浜で過ごした後、高校時代を広島県広島市で過ごし[3]、大学は大阪工業大学工学部に進学[2]。1979年卒業後関西で音楽活動を行う。1984年に上京。高橋ゲタ夫の紹介で松岡直也グループのオーディションを受け、メンバーに加入[3](当時は本名の菅野真吾で活動。現在の名前になったのは1987年から)。1980年代後半には音楽ユニット「トニーズ・ショウ」にも参加していた。また「オルケスタ・デ・ラ・ルス」に結成メンバーとして参加。同バンドは1989年渡米しツアーを行い海外で人気を得て翌1990年、BMGビクター(現BMG JAPAN)より発売した1stアルバム『デ・ラ・ルス』は、アメリカビルボードラテン・チャートで11週連続1位を記録し全米で大ヒット[2]。またラテンアメリカでも大ヒットし日本を代表するサルサバンドとなった。同年大儀見元の脱退により「オルケスタ・デ・ラ・ルス」のリーダーとなり、1991年の2ndアルバム『サルサに国境はない』はプラチナディスク、1992年の3rdアルバム『ディフェレンテス』は、ゴールドディスクを獲得。1993年の4thアルバム『ラ・アベントゥーラ』はグラミー賞にノミネートされた。また各国でチャリティーコンサートを行い評価され、日本人音楽家として初めて国連平和賞をグループで受賞した[4]。この年暮れの第44回NHK紅白歌合戦に『サルサに国境はない』で出場した[5]。 1995年12月に「オルケスタ・デ・ラ・ルス」を脱退。日本のトップミュージシャンを集め、ラテン・ジャズビッグバンド「熱帯JAZZ楽団」を結成[4]。パーカッショニスト兼リーダー兼プロデューサーとして、これまで国内で7枚、海外で3枚のスタジオ・アルバムを発表。また多くのトップミュージシャンとのセッションやアルバム参加、また国内・海外公演を続けている。 2008年4月から2009年3月まで、MBSラジオで放送された『大人のわがまま・音楽の旅』、及び新潟放送、山陰放送など民放AMラジオ局で放送された『カルロス菅野のジャズフィーリング』のラジオパーソナリティを担当した。2008年から、大阪芸術大学客員教授(ラテンミュージック概論)[4][6]。 脚注 ↑ “カルロス菅野のプロフィール・画像・写真”. WEBザテレビジョン. 2026年1月26日閲覧。 1 2 3 4 “活躍する卒業生 | 学園広報誌「FLOW」| 学校法人 常翔学園”. www.josho.ac.jp. 2026年1月26日閲覧。 1 2 “ラテンミュージシャン・インタビューシリーズ:カルロス菅野 PART1: eL Pop”. elpop.jp. 2026年1月26日閲覧。 1 2 3 “カルロス菅野/熱帯JAZZ楽団 オフィシャルWebサイト”. www.carloskanno.com. 2026年1月26日閲覧。 ↑ “サルサに国境はない SALSA NO TIENE FRONTERA オルケスタ・デ・ラ・ルス”. 世界の民謡・童謡. 2026年1月26日閲覧。 ↑ “演奏学科|ポピュラー音楽コース | 大阪芸術大学”. www.osaka-geidai.ac.jp. 2026年1月26日閲覧。 外部リンク カルロス菅野 熱帯ジャズ楽団 インタビュー この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。表示編集 典拠管理データベース 全般ISNIVIAFWorldCat国立図書館アメリカ学術データベースCiNii BooksCiNii Research芸術家MusicBrainz Related Articles