カロリーネ・エリーザベト・ツー・プファルツ From Wikipedia, the free encyclopedia ションバーグ公爵夫人カロリーネ カロリーネ・エリーザベト・ラウグレーフィン・ツー・プファルツ(Karoline Elisabeth Raugräfin zu Pfalz, 1659年11月19日 ハイデルベルク - 1696年7月7日 ロンドン)は、ドイツの諸侯プファルツ=ジンメルン家の成員。結婚によりイングランド貴族のションバーグ公爵夫人となった。 プファルツ選帝侯カール・ルートヴィヒとその2番目の妻で貴賤婚配偶者だったマリー・ルイーゼ・フォン・デーゲンフェルト(英語版)女男爵の間の第2子・長女。選帝侯家の継承権を持たない13人きょうだい(うち7人が成育)の3番目であり、弟妹たちとともに1667年父選帝侯が母に授与したプファルツ荒地伯(ラウグラーフ(ドイツ語版))の称号を名乗った。他のきょうだいたちと同様、異母姉のオルレアン公爵夫人リーゼロッテや、叔母のハノーファー選帝侯夫人ゾフィーから目をかけられた[1][2]。 カロリーネはきょうだいの中で唯一結婚することができた。1683年6月4日、イギリスに帰化したプファルツ選帝侯領の貴族・軍人フレデリック・ションバーグ伯爵の三男メイナード・ションバーグ伯爵にその2番目の妻として嫁ぎ、結婚後はロンドンで生活した[1]。夫は1693年に弟の死に伴いションバーグ公爵位を継いだため、カロリーネも公爵夫人となった。しかし1696年に亡くなり、夫に先立ってウェストミンスター寺院に葬られた[3]。 異母姉オルレアン公爵夫人は1694年7月3日付の書簡で、カロリーネの妹ルイーゼに宛てて次のように書いている:「カロリーネがもう8人も子供を産んでいると思うと、恐ろしくなります[4]」。カロリーネの成育した子としては以下の4人が知られる。 チャールズ・ションバーグ(英語版)(1683年 - 1713年) - ハリッジ侯爵、父に先立ち早世 キャロライン・ションバーグ(1686年 - 1710年) フレデリーカ・ションバーグ(英語版)(1687年 - 1751年) - 第3代ホルダーネス伯爵ロバート・ダーシーと結婚、フィッツウォルター伯爵ベンジャミン・ミルドメイと再婚 メアリー・ションバーグ(ドイツ語版)(1692年 - 1762年) - 母の従弟クリストフ・マルティン・フォン・デーゲンフェルト(ドイツ語版)伯爵と結婚、デーゲンフェルト=ショーンブルク家(ドイツ語版)の始祖 引用・脚注 1 2 Böth, Mareike (2015-08-02). Erzählweisen des Selbst. Köln: Böhlau Verlag. doi:10.7788/9783412218737. ISBN 978-3-412-22459-2. http://dx.doi.org/10.7788/9783412218737 ↑ “Lebensbeschreibungen der neuen Raugrafen und Raugräfinnen zu Pfalz”, Teil 1 (De Gruyter): pp. 3–166, (1798-12-31), doi:10.1515/9783111437484-006, ISBN 9783111437484, http://dx.doi.org/10.1515/9783111437484-006 2022年9月21日閲覧。 ↑ Westminster Abbey. “Meinhard, 3rd Duke of Schomberg”. Westminster Abbey Commemorations. 2022年9月21日閲覧。 ↑ Holland, Wilhelm Ludwig (Hrsg.): Briefe der Herzogin Elisabeth Charlotte von Orléans. Aus den Jahren 1721 bis 1722. Bd. 6, Stuttgart 1881. Nachträge Brief Nr. 20, Saint-Cloud, 3. Juli 1694. Related Articles