カール・クリスティアン・グメリン
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現在のバーデン=ヴュルテンベルク州のバーデンヴァイラー(Badenweiler)の司祭の息子に生まれた。兄に版画家のヴィルヘルム・フリードリヒ・グメリンがいる。1778年からストラスブール大学で医学を学び、1784年にエアランゲン大学で学位を得た。その年、カールスルーエで医者になり、同時に地元の高校で自然科学を50年間に渡って教えた。
1786年からバイロイト辺境伯の標本庫(markgräflichen Naturalienkabinetts:現在の州立カールスルーエ自然史博物館、Staatliches Museum für Naturkunde Karlsruhe)の館長となり、現在のカールスルーエ植物園のもとを作った。1782年にドイツの科学アカデミーレオポルディーナの会員に選ばれた[1]。1794年に、革命戦争により標本庫はアンスバッハに移されたので1797年までアンスバッハに移った。研究分野は植物学、動物学、鉱物学、地質学、火山学に及んだ。
1803年からバーデン大公国の医事委員会の委員、1814年から鉱山委員会の委員を務め、枢密院評議員となった。
著書には "Flora Badensis Alsatica"などがある。詩人のヨハン・ペーター・ヘーベルの友人であり、チシマゼキショウ科の種の属名にこの友人の名を命名(Hebelia allemannica)したが、現在はTofieldia calyculata のシノニムになっている。
