カール・フリードリヒ・アンドレアス・ヤコビ
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ヤコビはイェーナの大学に在籍し、その間にUrburschenschaftメンバーになった。1817年、ヴァルトブルク祭に参加した。1818年から1819年にかけてブランデンブルク・アン・デア・ハーフェルの学校の教頭を務め、その後は晩年までシュールプフォルタ・ギムナジウムの数学・物理学教授を任ぜられた。
弟のアンドレアス・ヤコビ(Andreas Jacobi、1801 - 1875)もシュールプフォルタの数学者だった。
数学者として、ヤコビは三角形幾何学を研究した。Jacobische Figurと呼ばれるものは三角形ABCについて、それぞれが△ABCと1辺を共有し、隣り合う各角が等しい3つの三角形△ADB,△BEC,△CFAの成す図形である[1]。ヤコビは、この図形においてAE,BF,CDが共点であることを示した(ヤコビの定理)[2]。BerkhanとMeyer[3]やフロリアン・カジョリは[4]、カール・フォイエルバッハやオーガスト・クレレとともにヤコビを19世紀初頭の三角形幾何学の推進者としている。しかし、この時代の三角形幾何学は19世紀後半の再興までは忘れ去られた。
1825年の作品においては、1875年のアンリ・ブロカールに先んじて、クレレによって導入された三角形のブロカール点の構成を与えた[5]。
1834年には、1790,1816年にアムステルダムで出版されたジャン・アンリ・ファン・スウィンデンによる書籍「Grondbeginsels der Meetkunde」を、独自の項を加えたドイツ語翻訳版で出版した。