ガールズ・オウン・ペーパー

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ガールズ・オウン・ペーパー(The Girl's Own Paper)は、1880年から1956年にかけてイギリスで出版されていた少女雑誌。19世紀末のイギリスを代表する少女雑誌の一つであり、同国のみならず世界各地で購読され、同時代のジェンダー観・少女像の形成に影響を与えた[1]

19世紀後期のイギリスでは、1870年にフォスター教育法の成立とともに若年層の識字率が向上し、労働者階級を含め娯楽としての読書習慣が根付いていった[2][3]。同時にペニー・ドレッドフルといわれる暴力的・扇情的な内容を掲載した雑誌が流行し、これに対抗するため若年層・児童に対して健全な読み物を提供することを目的とした児童雑誌の創刊も相次ぎ、1879年に福音派の宗教団体である宗教冊子協会(Religious Tract Society)によって『ボーイズ・オウン・ペーパー』が誕生する[2]

ボーイズ・オウン・ペーパーは創刊直後から人気を博し、男子読者だけではなく多くの女子読者も獲得するが、発行母体である宗教冊子協会には、男子と女子では適した読み物が違うという思想があり、特にコンペティションといわれる読者参加企画で男子読者と女子読者が競うことに否定的だった[2]。また一方で女子読者の需要に応える必要性も認識しており、1880年に姉妹誌として本誌を創刊して性別分離を図っていく[1][2]

19世紀末までに本誌は週に25万部の発行部数を誇るようになり、当時のイギリスを代表する少女雑誌の地位を獲得し、使用人から上層中産階級に至るまで広く購読された[1][4]。その後も細かな誌名変更を行いつつも1951年まで発行を続けたが、同年に『Heiress』に改称した後、1956年に廃刊する[5]

誌面

創刊初期は週刊で定価1ペニー、3段組の16ページ構成で小説などの文芸作品のほか、美容・ファッションに関する記事が掲載された[6]。家庭の担い手としての女性を教育していくという良妻賢母思想が強く、ボーイズ・オウン・ペーパーには文芸作品として冒険小説学園小説が多く掲載されていたのに対し、本誌は恋愛や家庭をテーマとした作品が主だった[1][5]。当時の主な寄稿者としてイーディス・ネズビットがおり、代表作の一つである「宝探しの子供たち」は本誌での連載が初出である[7]

また、当時はファッションが若い女性の話題の中心であり、中流階級にもミシンが普及したことで手芸熱が高まっており、本誌にも数多くの型紙が掲載されるとともに賞金付きのコンペティションが開催されていく[1][6]

1907年に誌名が『The Girl's Own Paper and Woman's Magazine』となり、想定読者層は20代前半にまで広げられ、社会で活躍する女性を取り上げるコーナーが設けられるなど、女性の社会進出・自立が一つのテーマとなる[5]。1930年には誌名を『The Girl's Own Paper』に戻して学齢期の女子をメインターゲットとするが、この頃には創刊初期の良妻賢母思想は薄れ、文芸作品も女性軍人を主人公とした冒険小説やミステリー小説の掲載が増えていく[5]。1940年以降は第二次世界大戦の影響を受け、戦争小説や戦時下のロンドンを舞台とした小説や軍の採用案内も掲載されるようになっていく[5]

影響

出典

関連項目

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