ボーイズ・オウン・ペーパー

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ボーイズ・オウン・ペーパー(The Boy's Own Paper)は、1879年から1967年にかけて出版されていたイギリス児童雑誌。19世紀後期の冒険小説の流行の発信源の一つであり、ロバート・マイケル・バランタインなどが作品を発表した[1]

1850年に公共図書館法、1870年にフォスター教育法が成立するなど、19世紀後期のイギリスでは労働者階級を含めた識字率が向上していき、娯楽としての読書習慣が根付くとともに児童向けの読み物需要も増加した[2][3]。同時に児童の間で流行していたペニー・ドレッドフルを問題視する動きも始まり、その対抗策として1879年に福音派の宗教団体である宗教冊子協会(Religious Tract Society)は学齢期の児童に対する健全な読み物雑誌として本誌を創刊する[2][3]

ペニー・ドレッドフルと同等の価格帯で知的好奇心を満たす質の高い読み物を掲載した本誌は創刊直後から人気を呼ぶとともに、各界の名士が執筆陣に名を連ねたことで保護者層の信頼も獲得する[1][3]。創刊翌年の1890年には姉妹誌としてガールズ・オウン・ペーパーも創刊し、男子向けのボーイズ・オウン・ペーパー、女子向けのガールズ・オウン・ペーパーともどもイギリスを代表する児童雑誌としての地位を確立する[3]

毎週の発行部数は1879年の創刊から5年以内に25万部を超え、最盛期には66万5,000部に達し、19世紀末から20世紀初頭にかけてイギリス本国のみならずその植民地も含め英語圏で隆盛を誇ったが、競合誌の台頭や娯楽の多様化の影響も受けて勢いを失っていき、1967年に廃刊する[3][4]

誌面

刊行頻度は週刊であり、イギリスの学校年度に合わせて10月分から9月分をまとめた年鑑も刊行された[3]。誌面では、文芸作品のほか、フットボールなどのスポーツや野外活動に関するコラム、科学記事など幅広い分野の情報が取り上げられ、コンペティションといわれる読者参加企画も行われた[3]

文芸作品では、ロバート・マイケル・バランタインなどの冒険小説が人気を呼び、同時代にフランスで活躍したジュール・ヴェルヌの作品の英訳も掲載された[3][5]アーサー・コナン・ドイルも本誌に作品を寄稿している[6]

科学記事はロンドン王立協会のメンバーも執筆協力しており、世界各地の動植物の解説記事のほか、チャールズ・ダーウィンカール・フォン・リンネなどの科学者の伝記が掲載された[3]

評価

出典

関連項目

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