キキンダ
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| キキンダ Kikinda/Кикинда | |||
|---|---|---|---|
キキンダ市庁舎 | |||
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| 位置 | |||
セルビアにおけるキキンダの位置 | |||
| 座標 : 北緯45度49分42秒 東経20度27分55秒 / 北緯45.82833度 東経20.46528度 | |||
| 行政 | |||
| 国 | |||
| 郡 | 北バナト郡 | ||
| 基礎自治体 | キキンダ | ||
| 市長 | Ilija Vojinović (DS) | ||
| 人口 | |||
| 人口 | (2011年現在) | ||
| 基礎自治体域 | 59,329人 | ||
| 市街地 | 37,676人 | ||
| その他 | |||
| 等時帯 | CET (UTC+1) | ||
| 夏時間 | CEST (UTC+2) | ||
| 市外局番 | +381 230 | ||
| ナンバープレート | KI | ||
| 公式ウェブサイト : www.kikinda.rs | |||
キキンダ(セルビア語: Kikinda/Кикинда)はセルビア北部の町およびヴォイヴォディナ自治州の基礎自治体で北バナト郡の行政的な中心都市である。市街地の人口は37,676人、基礎自治体全体で59,329人である。
セルビア語ではキキンダ(Kikinda/Кикинда)の名称で知られているが、ハンガリー語ではナジキキンダ(Nagykikinda)ドイツ語ではグロースキキンダ(Gross Kikinda, Großkikinda)、ルーマニア語ではキキンダ・マレ(Chichinda Mare)、スロバキア語ではキキンダ(Kikinda)、ルシン語ではキキンダ(Кикинда)、クロアチア語ではキキンダ(Kikinda)と歴史的な過程からそれぞれの言語で表記されたり呼称されている。1947年までセルビア人にはヴェリカ・キキンダ(Велика Кикинда)の名称で知られていた[1]。キキンダに関連する名称が最初に記録されたのは15世紀でコケニド(Kokenyd)で、エツェヒド(Ecehida)の名を意味するもと思われる小さな集落で最初はハンガリー人が所有したが後にセルビア人の地元支配者に移った。1718年にグロスキキンダの名が地図に表れたが荒れ地で人が住む場所ではなかった。キキンダの名称の由来はハンガリー語でスピノサスモモを意味するkökényや古いスラヴ語で頭を意味すkikなどが上げられている[1]。
紋章
歴史
中世より現代のキキンダ周辺には2つの重要な集落が立地しておりそれぞれガラド(Galad)、ホロシュ(Hološ)と呼ばれていた[3]。ガラドはバナト北部ではもっとも古いスラヴ人の集落の一つで9世紀、スラヴ人のグラド公 (en) が設立されたとされている[4]。1337年のガラドの記録によれば住民のほとんどはセルビア人であった[5]。集落はオーストリアとオスマンの17世紀の終盤と18世紀に始まった戦争により破壊されている[6]。他方のホルシュは17世紀にオスマンの地域行政の中心地となるが[6] その後破壊されている。 現在の町は18世紀に設立され1774年から1874年にかけてのハプスブルク時代はキキンダはヴェリカ・キキンダ郡の行政的中心都市であった。1893年にキキンダは町の地位を得る。その後、ヴォイヴォディナは1918年にセルビア王国の領域となる。1990年代までキキンダはセルビアやユーゴスラビア社会主義連邦共和国で強い経済と産業の中心地であったが、現在は経済発展の過渡期である。
みどころ
キキンダのスヴァチャ(Suvača)にはヨーロッパにはハンガリーとキキンダの2箇所しか残っていない馬の力で動かす製粉機が残っている。現在残っているものは1899年から1945年まで動いていたものである[7]。 町の中央広場に位置するセルビア正教会の教会は1769年に建てられたもので、1773年以来のイコノスタシスや西ヨーロッパの影響を受けた壁画などが残されている。キキンダのカトリック教会は1808年に着工され1811年に完成した。キキンダの主だったイベントにカボチャ祭り (Дани лудаје/Dani ludaje) があり毎年10月半ばに催されている[8]。このイベントはカボチャの大きさを競うもので、毎年各地から多くの人を集めている。1996年に町の郊外で保存状態の良い約50万年前のマンモスの一部が発見された。マンモスはキカ"Kika"と呼ばれ町のシンボルの一つとなった。現在はキキンダの国立博物館で展示されている。
