キップス・アベッラヌス
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キップス・アッベラヌスは、1745年に古代都市アベッラ(現在のアヴェッラ)の遺跡において、扉の土台として用いられていたところを発見された。
解読
テキスト
A面
maiiúí vestirikiíúí mai(eís) sta(ttieís)
prupukid sverruneí kvaístu-
reí abellanúí, íním maiiúí
lúvkiíúí mai(eís) pakalatúí
[m]edíkeí deketasiúí núvl[a]
[núí], íním lígatúís abellan[úís]
íním lígatúís núvlanúís,
pús senateís tanginúd
suveís pútúrúspíd ligat[ús]
fufans, ekss kúmbened [am-?]
sakaraklúm herekleís [ú]p
slaagid púd íst, íním teer[úm]
púd úp eísúd sakaraklúd [íst],
púd anter teremníss eh[......]
íst, paí teremenniú mú[íníkad]
tanginúd prúftú set r[...5-6...]
amnúd, puz ídík sakar[aklúm]
íním ídík terúm múín[íkúm]
múíníkeí tereí fusíd, [íním]
eíseís sakarakleís [íním]
tere[í]s fruktatiuf múíníkú pútúrú[mpid]
[fus]íd. avt núvlan[úm es-]
[tud] herekleís fí[isnaíen dún-]
[úm p]íspíd núvlan[ús ....]
[...] íp p[...]ís [..........]
B面
ekkum [svaí píd íússu íp] trííbarak [avum hereset ant] líimítú[m h]ernúm, [puf] herekleís fíisnú mefi[ú] íst, ehtrad feíhúss pú[s] herekieís fiísnam amfr- et pert víam pússtís, paí íp íst pústin slagím, senateís suveís tangi- núd tríbarakavúm lí-/kitud.
íním íúk triba-
rakkiuf pam núvlanús tríbarakattuset íním úíttiuf núvlanúm estud.
ekkum svaí píd abellanús tríbarakattuset íúk trí- barakkiuf íním úíttiuf abellanúm estud.
avt
púst feíhúís pús fisnam am- fret eíseí tercí nep abel- lanús nep núvlanús pídum tríbarakattins.
avt the-
savrúm púd e<í>seí tereí íst pún patensíns máíníkad t[an]- [g]ínúd patensíns; íním píd e[íseí] thesavreí púkkapíd ee[stit] [a]íttíúm alttram alttr[ús] /[h]erríns.
avt anter slag[ím]
[a]bellanam íním núvlanam [s]ullad víú uruvú íst pedú(m) x[+?]. [e]ísaí víaí mefìaí tereme[n]- [n]iú staíet.[4]
翻訳
Buck (1904)による翻訳
A面 (数字は行を示す)
1–10 以下の通り合意された。アベッラの財務官(クァエストル)であるマイウス・ヴェスティリキウス(父マイウス・スタティウスの子)、すでに合意されていた代弁者('''sveruni''')、およびノーラのメディクスであるマイウス・ルイウス(父マイウス・パクラトゥスの子)、さらに各自の元老院によって任命されたアベッラおよびノーラの代表者たちの間で、
11–23 アベッラとノーラの境界('''slaagid''')上にあるヘラクレスの神殿('''sakaraklum''')および周囲に設定された外側の境界内の隣接地は、共同で保有され、そこから得られる収入は両市の共有収入とすること。
B面
27–48 もし誰かが神殿の境界前、神殿('''fiisnu''')の周囲を取り囲む壁の外、および道路を横切る土地に建物を建てようと望む場合('''svai pid herieset''')、その土地の管轄下にある元老院の承認を得て行うことができる。 もしノーラの住民が建てる場合、その建物および収益は彼らのものとし、アベッラの住民が建てる場合は、建物および収益は彼らのものとする。しかし、神殿を取り囲む壁の内側には、いかなる者も建物を建ててはならない。
48–54 この領域内にある宝庫('''pún patensíns''')を開く際には、共同の同意により開き、宝庫にあるものはすべて分け合うものとする。 54–58 境界石は、アベッラの領域とノーラの領域の間の道路上に設置される。
Pulgramの翻訳
A面(数字はパラグラフを示す)
1 アベッラの財務官(クァエストル)に指名されたマイウス・ヴェストリキウス(父マイウス・?)、およびノーラのメディクスであるマイウス・ルキウス(父マイウス・?)、さらにアベッラの代表者およびノーラの代表者たちは、各自の元老院の決定により('''fufans''')双方の代表者として任命され、以下の通り合意した(逐語的には「マイウス・ヴェストリキウスにとって…このように適切であった」)。
2 ヘラクレスの神域('''sakaraklum''')は、境界線('''slaagid''')(ノーラおよびアベッラの町域を分ける)に沿って位置し、この神域に沿った土地および外側(?)の境界内にある土地は、共同の決定によって承認された境界内にあり、この神域およびこの共同の土地の使用権は双方に属するものとする。
3 しかしノーラの住民は…ヘラクレスの神殿について、いかなる…
B面
4 同様に、双方のいずれかの当事者が、ヘラクレスの神殿が中央に位置する境界まで建物を建てようと望む場合、たとえヘラクレスの神殿('''fiisnu''')を取り囲む壁の外であっても、またその壁が道にまで達しており、境界線に沿っている場合には、関係する当事者の元老院の決定に従って建築することを許可するものとする。
5 ノーラの住民が建てた建物は、ノーラの住民の使用に供されるものとする。同様に、アベッラの住民が建てた建物は、アベッラの住民の使用に供されるものとする。
6 しかし、神殿を取り囲む壁の内側の土地には、アベッラの住民もノーラの住民も、いかなる建物も建ててはならない。
7 しかし、この土地上にある宝庫を開く場合には、共同の決定に従って開き、その宝庫に含まれるすべてのものは、双方が各自の取り分を受けるものとする。
8 しかし、境界線に沿って、道が幅十フィートある場所では、その道の中央、すなわち町域の境界に沿って設置するものとする。
注記:Pulgram は sakaraklum を「聖域(sanctuary)」、すなわち神殿全体の敷地または神聖領域と解釈する一方で、fiisnu は神殿自体の建物を指すとしている。
多くの学者は、10行目の fufans を、原始インド・ヨーロッパ語 PIE *bʰuH- 「存在する」に由来する fu の完全形に、同根から派生した完了形語尾が付いたものとみなし、ラテン語の -ba 完了形(例:da-ba-m 「私は与えていた」)に類比させている[1]。一方、Pizani はこの形を PIE *bhudh- 「知る、知らせる」に由来すると分析し、西部インド・ヨーロッパ語では口頭による合意(または不合意)を含意する意味に発展したとする。そのため、該当箇所の意味は「各側の代表者が交渉するための委任権を与えられた」といった意味に近くなる。[5]
単語 slaagí- は、境界そのもの、あるいはその境界によって定められた領域のいずれかを意味しうる。Joseph(1982)はこれを語源的に、ギリシア語 le:go: 「やめる、中断する」と関連付け、ゼロ段階抽象形 -i 語幹の PIE *slH1g-i- に由来するとし、「領域が終わるまたは途絶する場所」を意味するとしている[6]。
参照文献
- ↑ "Cippus Abellanus (Buck)". droitromain.univ-grenoble-alpes.fr. Retrieved 25 September 2021.
- ↑ "Il Cippus Abellanus" (in Italian). sanniti.
- ↑ Buck, C. D. A Grammar of Oscan and Umbrian: With a Collection of Inscriptions and a Glossary Ginn & Co.: Boston (1904) pp. 229-230
- ↑ “Cippus Abellanus”. Societas Via Romana. 2021年9月25日閲覧。
- ↑ Pisani, Vittore (1963). “Oskisch fufans”. Zeitschrift für vergleichende Sprachforschung auf dem Gebiete der Indogermanischen Sprachen 78 (1/2): 101–103. ISSN 0937-2229. https://www.jstor.org/stable/40848115.
- ↑ Joseph, Brian D. (1982). “Oscan slaagí”. Glotta 60 (1/2): 112–115. ISSN 0017-1298. https://www.jstor.org/stable/40266580.