キュミエール=ル=モールトム
From Wikipedia, the free encyclopedia
| Cumières-le-Mort-Homme | |
|---|---|
|
| |
| 行政 | |
| 国 |
|
| 地域圏 (Région) | グラン・テスト地域圏 |
| 県 (département) |
ムーズ県 |
| 郡 (arrondissement) | ヴェルダン郡 |
| 小郡 (canton) | ベルヴィル=シュル=ムーズ小郡 |
| INSEEコード | 55139 |
| 郵便番号 | 55100 |
| 市長(任期) |
ジャン・ラヴィニェ (2008年 - 2014年) |
| 自治体間連合 (fr) | fr:Communauté d'agglomération du Grand Verdun |
| 人口動態 | |
| 人口 |
0人 (2013年) |
| 人口密度 | 0人/km2 |
| 地理 | |
| 座標 | 北緯49度14分00秒 東経5度16分54秒 / 北緯49.2333333333度 東経5.28166666667度座標: 北緯49度14分00秒 東経5度16分54秒 / 北緯49.2333333333度 東経5.28166666667度 |
| 標高 |
平均:188m 最低:185 m 最高:287 m |
| 面積 | 6.11km2 |
キュミエール=ル=モールトム (Cumières-le-Mort-Homme)は、フランス、グラン・テスト地域圏、ムーズ県のコミューン。
第一次世界大戦によって住民がいなくなった、『フランスに命を捧げた』(mortes pour la France)9つのコミューンのうちの1つである。
1285年、トルヴェールのジャック・ブレテルは、シニー伯の依頼でショーヴァンシー・ル・シャトーの祭りが行われた話に何回か言及している。有名なショーヴァンシーの馬上槍試合の間、ヌヴィル、オルヌ、クルーエ、ロジエールとブリエと一緒にコラール(Colart)またはキュミエールのコラール(Collard de Cumières)がいたことが記されている。
ジャン・ル・クレールを含むクロード・ル・クレールの相続人たちは、1598年6月30日にキュミエールの領主権が与えられたことを確認した[1]。
1916年2月21日、雷のように轟く大砲がヴェルダンの戦いの始まりを知らせた。ヴェルダン地区に入っていたため、1916年5月29日にフランス軍はキュミエールを失い[2]、1917年8月20日に奪還した。だがフランス軍とドイツ軍双方からの容赦ない砲撃の下で、キュミエールは完全に消滅してしまっていた。
『第一次世界大戦で破壊されたフランスの村』(fr)の1つであるキュミエールは、二度と再建されなかった。終戦後に『フランスに命を捧げたコミューン』(fr)であると宣言され、この地で起こった出来事の記憶をとどめるためコミューンを維持し続けることになった。コミューンは現在、ムーズ県知事によって任命された3名の理事で構成される理事会が行政を行っている。
