ギュンター・フォン・クルーゲ
From Wikipedia, the free encyclopedia
所属組織
ドイツ帝国陸軍
ヴァイマル共和国軍陸軍
ドイツ陸軍
| ギュンター・フォン・クルーゲ Günther von Kluge | |
|---|---|
|
| |
| 生誕 |
1882年10月30日 |
| 死没 |
1944年8月19日 |
| 所属組織 |
|
| 最終階級 |
|
| 指揮 |
第4軍 中央軍集団 西方軍 |
| 戦闘 |
第一次世界大戦 第二次世界大戦 |
| 勲章 | 柏葉剣付騎士十字章 |
ギュンター・フォン・クルーゲ(Günther von Kluge, 1882年10月30日 - 1944年8月19日)は、 第二次世界大戦中のドイツ国の陸軍軍人。最終階級は陸軍元帥。軍集団司令官などを務めたが、7月20日事件に関わった容疑で自殺に追い込まれた。
ポーゼン(現ポーランド領ポズナニ)でプロイセン王国のマックス・クルーゲ少将の息子として生まれた。父は1913年に世襲貴族に叙され、「フォン」を名乗った。弟のヴォルフガングも兄同様に軍人になった[1]。
士官学校時代、知的能力において群を抜いていたために同期から「利口なハンス(der kluge Hans)」と呼ばれた。これは当時のドイツで話題となっていた、算数を解く能力があるとされた「賢馬ハンス(ドイツ語: Kluger Hans)」とかけられたものである[2][3]。このことからクルーゲはハンス・ギュンターと呼ばれるようになった。本名に「ハンス」は含まなかったが、のちに役所に正式に登録している。 第一次世界大戦中には、参謀将校・陸軍大尉としてヴェルダンの戦いに従軍した。
ヴァイマル共和国から第二次世界大戦開戦まで
第一次世界大戦後は、ヴェルサイユ条約で兵力10万人に制限されたヴァイマル共和国の陸軍(Reichsheer)に選び残され、1930年に大佐、1933年に少将、1936年には砲兵大将と異例の早さで昇進した。
