クイト

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座標: 南緯12度23分 東経16度56分 / 南緯12.383度 東経16.933度 / -12.383; 16.933

クイト

Kuito
Cuito
州都
クイトの位置(アンゴラ内)
クイト
クイト
クイトの位置
南緯12度23分 東経16度56分 / 南緯12.383度 東経16.933度 / -12.383; 16.933
アンゴラの旗 アンゴラ
ビエー州
建設 1750年
面積
  合計 4,814 km2
標高
1,695 m
人口
2010年
  合計 185,302人
  密度 38人/km2
等時帯 UTC+1 (西アフリカ時間)
市外局番 (+244) 48
ケッペンの気候区分 温帯夏雨気候(Cwb)

クイト(KuitoまたはCuito)は、アンゴラ中央部のビエー州の州都。 2010年の人口は18万5302人。

オヴィンブンド人の王国の中心地で、ビエー王とソンゴ人のカハンダ王妃が建設したと言われている[1]。 ビエー王は後にビエー州の由来になった。 オヴィンブンド人は近隣の部族を征服し、彼らを奴隷としてヨーロッパ人に売っていた。

1750年ポルトガル人が新たに都市を建設した[2]。 後にこの地域に家を建てたアントニオ・デ・シルヴァ・ポルト英語版に因んで、シルヴァ・ポルトと名付けられた[3]

1900年代初頭、ビエー州の魅力的な気候に多くのポルトガル人入植者が引き寄せられた。

1914年までにベンゲラ鉄道大西洋岸のロビトからクイトに到達した。

1960年代ポルトガル陸軍黒人部隊の訓練施設が置かれ、ポルトガル領アンゴラゲリラとの戦闘に貢献した。(ポルトガルの植民地戦争)

1975年アンゴラが独立し、アンゴラ内戦が始まった。 ベンゲラ鉄道も破壊・分断された。

1993年1月6日、アンゴラ内戦の中でアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)がクイトを9ヶ月に渡って封鎖し、戦闘と飢餓によって3万人以上が殺害された。

1998年、アンゴラ全面独立民族同盟は再びクイトを封鎖し、火器や戦車を用いて占領を試みた[4]

2002年、アンゴラ内戦が終結した。

2012年中国鉄建によってロビト⇔クイト間のベンゲラ鉄道が復旧した。

2013年、ベンゲラ鉄道がコンゴ民主共和国との国境近くのルアウまで到達した。

2014年8月、ベンゲラ鉄道が復旧。営業を再開。[5]

気候

交通

脚注

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