クイーンコーラル (初代)
From Wikipedia, the free encyclopedia
| クイーンコーラル (初代) | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 船種 | フェリー |
| 船籍 |
|
| 所有者 | 照国郵船 |
| 運用者 | 照国郵船 |
| 建造所 | 林兼船渠長崎造船所[1] |
| 建造費 | 約30億円 |
| 航行区域 | 近海[1] |
| 船級 | JG第二種船[1] |
| IMO番号 | 7227451 |
| 経歴 | |
| 起工 | 1971年5月25日[1] |
| 進水 | 1972年3月21日[1] |
| 竣工 | 1972年6月29日[2] |
| 就航 | 1972年7月14日[2] |
| 運航終了 | 1986年10月 |
| 最後 | 2004年、トルコで解体 |
| 要目 | |
| 総トン数 | 6,430 トン[3] |
| 載貨重量 | 1,344 重量トン[3] |
| 全長 | 130.0 m[3] |
| 垂線間長 | 115.0 m[1] |
| 幅 | 17.4 m[3] |
| 深さ | 6.4 m[3] |
| 満載喫水 | 5.2 m[3] |
| 機関方式 | ディーゼル |
| 主機関 | IHI-SEMT Pielstick 18PC2V 2基[1] |
| 推進器 | 2軸 |
| 最大出力 | 18,000馬力(連続)[3] |
| 定格出力 | 16,200馬力[1] |
| 最大速力 | 24.15ノット[1] |
| 航海速力 | 23ノット[3] |
| 航続距離 | 2,700海里[1] |
| 旅客定員 | 858名[3] |
| 車両搭載数 | 乗用車80台[3] |
航路
照国郵船のフェリー化第一船として、林兼船渠長崎造船所で建造され、1972年に就航した。1977年に特殊構造だったランプウェイを改造、屋外プールを廃止するなど合理化改装を受けた。1982年11月にニュークイーンコーラルの就航により係船されたが、1983年7月にクイーンコーラル2が売却されたため、航路に復帰した。
クイーンコーラル7の就航により、1986年10月に引退した。
その後、海外売船され、ギリシャ・キプロスのWaveray ShippingでQUEEN VERGINAとなり、1987年にアンコーナ - コルフ - ミコノス - ピレウス - リマソル - ハイファ航路に就航した。 1988年にモロッコのMoroccan Navigationに売却されRIFとなった。 1992年には、リビアのGNMTCに売却されHANAAとなった。 1998年にバレッタで係船された。
2004年にトルコにスクラップとして売却され、回航された後、解体された。
照国汽船
- 就航前は名瀬港までの予定だったが、運輸省の認可が得られたため、与論港まで延長された。1972年12月に那覇港まで延長された。
設計
1975年に開催された沖縄国際海洋博覧会の観光客輸送を行うため、個室の部屋数を増やし、パブリックスペースを広く取った船内、客船を意識した外観など、子会社の日本高速フェリーが建造したさんふらわあシリーズと共通する旅客重視の豪華フェリーとして建造された。一方で、離島航路船として生鮮食料品等の輸送のために当初より船内に冷蔵貨物倉を設けていたが、トラックやコンテナは積載できず、貨物輸送能力はごく小さかった。このため、観光客輸送が予想外に伸び悩むと貨主客従の航路事情にそぐわない不経済船となり、赤字が累積し、1975年12月に照国郵船が会社更生法による会社更生手続を申請する一因となった。
ランプウェイは客船を意識した船型かつ公共岸壁を使用するため岸壁に可動橋を設ける事が出来ない事からジャックナイフ式のサイドドアやスライディングランプ等を用いた格納式になっていたが[4]、1977年2月に通常の大型サイドランプに改造した。また同時に船橋前の前甲板と煙突後方のプール撤去後のスペースに12ftコンテナの積載設備を設ける改装も行われ、限定的ながら貨物輸送能力の向上が図られた。