日本高速フェリー
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沿革
- 1969年6月 - 照国グループ総帥の中川喜次郎が、川崎重工業に「国際級の豪華船」の設計を打診する
- 1970年5月1日 - 照国郵船の子会社として、日本高速フェリー(資本金3億円)を設立[5]。当初は東京都中央区に本社を置いた[2]。
- 1971年1月26日 - さんふらわあ型1番船「さんふらわあ」が、川崎重工業神戸工場にて起工。
- 1972年
- 1月18日 - 「さんふらわあ」竣工。
- 2月1日 - 「さんふらわあ」名古屋 - 高知 - 鹿児島航路に就航[6]。
- 5月17日 - 2番船「さんふらわあ2」川崎重工業神戸工場で竣工。
- 「さんふらわあ」と同型であり、進水時の船名は「さんらいず」であったが改名され、3番船以降も「“さんふらわあ”+数字」の名が使われることになった。
- 5月28日 - 「さんふらわあ2」名古屋 - 高知 - 鹿児島航路に就航し、同航路は3日に2便の運航となる。
- 1973年
- 1974年
- 7月4日 - 「さんふらわあ8」東京 - 高知航路に就航。デイリー運航になるとともに、翌5日から那智勝浦寄港を開始。
- 9月9日 - 5番船「さんふらわあ11」来島どっく大西工場で竣工。
- 10月1日 - 「さんふらわあ11」大阪 - 鹿児島航路に就航、2日に1便の運航[6]。
- 1975年
- 9月2日 - 日本高速フェリーの親会社である照国海運が、海運不況や内航船の過大投資負担による経営の行き詰まりから430億円の負債を抱えて倒産。
- 日本高速フェリーは創業以来一度も黒字になることはなく、わずか5年間で累積赤字は95億円に達した(この時点での資本金は36億円だったので、その3倍近くの欠損金を出していたことになる)。
- 9月30日 - 大阪 - 鹿児島航路に就航している「さんふらわあ11」を70億円で来島どっくに売却し、チャーターバックして航路の維持を図る。
- 1976年
- 1977年2月1日 - 大阪 - 鹿児島航路、志布志寄港を開始。
- 1978年3月31日 - 名古屋 - 高知 - 鹿児島航路の運航を休止。「さんふらわあ5」を係船。
- 1979年4月2日 - 休止中だった名古屋 - 高知 - 鹿児島航路を廃止。
- 1981年
- 8月7日 - 係船中だった「さんふらわあ5」が大阪 - 志布志 - 鹿児島航路に就航、「さんふらわあ11」との2隻でデイリー運航を開始。
- 9月 - 「さんふらわあ11」に内装を中心とした改装工事を実施。13,575総トンに。
- 12月 - 「さんふらわあ5」に内装を中心とした改装工事を実施。13,322総トンに。
- 1982年
- 1984年2月 - 日本高速フェリーが36億円の資本金を98%減資し、7,200万円に。「さんふらわあ5」「さんふらわあ8」の2隻を来島どっくに売却し、チャーターバックして運航。
- 1986年6月9日 - 大阪 - 志布志 - 鹿児島航路のうち、志布志 - 鹿児島間を繁忙期のみの運航に変更[8]。
- 1989年10月12日 - 東京-那智勝浦-高知航路の日本沿海フェリーへの営業譲渡に合意[9]。
- 1990年
- 1991年8月 - 会社解散[9]。
運航していた船舶



- さんふらわあ
- 11,312総トン、全長185.0m、幅24.0m、深さ15.6m、連続最大出力26,080馬力、最大速力25.5ノット
- 車両積載数10トントラック84台、乗用車208台、旅客定員1,124名、乗組員定員87名。川崎重工業神戸工場建造。
- さんふらわあ2
- 12,112総トン、全長185.0m、幅24.0m、深さ15.6m、最大出力26,080馬力、最大速力25.5ノット
- 車両積載数10トントラック84台、乗用車208台、旅客定員1,124名、乗組員定員87名。川崎重工業神戸工場建造。
- さんふらわあ5
- 12,711総トン、全長185.0m、幅24.0m、最大速力25.5ノット
- 車両積載数10トントラック84台、乗用車81台、旅客定員1,079名。来島どっく建造。
- さんふらわあ8
- 12,759総トン、全長185.0m、幅24.0m、最大速力25.5ノット
- 車両積載数10トントラック84台、乗用車81台、旅客定員1,079名。来島どっく建造。
- さんふらわあ11
- 13,599総トン、全長195.8m、出力36,000馬力、最高速力26.9ノット
- 車両搭載数8トントラック84台、乗用車191台、旅客定員1,218名。来島どっく建造。