2024年のインタビューにおけるクォン・スングン自身の回想によると、生い立ちは貧しく、きょうだいが自分も含めて8人いる母子家庭で育った[1]。中高生のころは頻繁に外泊し、ひと月に半ばほどは友だちの家で厄介になっていたが、それは食い扶持を少しでも減らして母の負担を軽くしたかったからだった[1]。ドラムを始めたきっかけも貧しさが関係しており、学校バンドに入ると学費が無料になったからだった[1]。スティックを握って6箇月練習して学校バンドに加入し、クォンのドラマーとしてのキャリアが始まった[1]。
高校を卒業後、当時16名だけで構成されていた空軍軍楽隊に入隊した[1]。母には軍隊へ行くことをいえず、ソウルからデジョンまでのバス代300ウォンを借りて入隊した[1]。除隊後、食いつなぐためにバンドに加入したが、クォンの加入初日にリーダーが今日のライブを最後にバンドを解散すると宣言した[1]。ところがその解散ライブでクォンは「クレイジー・ドラマー」(크레이지 드러머)との異名をとることになった[1]。音楽に没入したクォンはドラムのみならず壁や床をたたき、主催者にこんな演奏は見たことがない、今後も演奏を続けてくれと言われた[1]。
在韓米軍部隊基地でのドラム・パフォーマンスは評判を呼び、この頃、同様に在韓米軍第8軍基地内のバンドのギタリストだった、韓国ロックのパイオニア、シン・ジュンヒョン(英語版)と出会った[1][2]。クォンはギターのシン・ジュンヒョン、ヴォーカルのソ・ジョンギル、ベースのハン・ヨンヒョンとともに、韓国初のオリジナル・ロック・バンドである "Add 4"(에드포)を結成した[1][2]。当時の韓国のポピュラー音楽産業においては、支払いや報酬の仕組みがまったく制度化されておらず、クォンの回想によれば、有名な「雨の中の女人」という曲なども含む、Add 4 のレコード・アルバムの録音に参加した際にもらった報酬は、近所の飯屋のクッパ一杯分で全部だったという[1]。Add 4 では4年間活動した[2]。