クララ・サンズ
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クララ・サンズ | |
|---|---|
| 生誕 |
1844年7月27日 アメリカ・ニューヨーク州サウスポート |
| 死没 |
1911年7月2日 日本 |
| 国籍 | アメリカ合衆国 |
| 出身校 | オックスフォード女子大学 |
| 職業 | 宣教師、教育者 |
| 活動期間 |
1875年 - 1886年(日本・横浜) 1890年 - 1911年(日本・東京、水戸) |
| 著名な実績 | 神奈川県・関東地方での農村伝道、婦人伝道者養成、教育活動 |
| 宗教 | プロテスタント(バプテスト派) |
| 配偶者 | J. C. ブランド |
クララ・A・サンズ(Clara A. Sands、1844年7月27日 - 1911年7月2日)はアメリカの宣教師、教育者。米国バプテスト派の宣教師として来日し、神奈川県を中心に農村伝道と教育活動に尽力した。
1844年7月27日[1]、ニューヨーク州サウスポートに生まれた[2][3]。両親はメソジストの信者で、父は英国貴族だった[1]。オハイオ州オックスフォードの女子大学を卒業した[3]。
1873年、ニューヨーク州サラマンカで浸礼を受け[3]、外国宣教の使命を感じ、所有物を売却してミッション本部に宣教師志望を伝えた[3]。ネイサン・ブラウンの助手として横浜に派遣され[3]、1875年(明治8年)11月、アンナ・H・キダーと共に米国バプテスト派初の独身女性宣教師として来日した[3]。山手居留地75番に住み、1876年に横浜第一浸礼教会の会員となった[3]。
神奈川県下や近隣の農村各地に開拓伝道を行い、上溝、厚木、伊勢原、長後、藤沢、小田原、原町田、八王子、甲府を訪れた[2][3]。1883年には長後に、1886年には上溝に、厚木や原町田にも教会が設立され、バプテスト派の農村伝道のさきがけとなった[2][3]。
サンズは苗村かく・重本ちよ・井上はん・小島きせなどの婦人伝道者を養成し[2][4]、彼女たちを連れて家庭訪問による伝道をおこなった[3]。伝道の途中で出会った子どもたちを自宅で預かって聖書、英語、洋裁、料理などを教え、1881年の時点では女子の学校と男女共学の「聖教学校」を合わせて200名近くの子どもたちを教育していた[3]。
1886年1月、サンズが一時帰国する際、6名の女子をネイサン・ブラウンの妻シャーロット・ブラウンに預けた。これが捜真女学校の起源とされる[3]。のちに山手居留地34番に校舎が建ち、聖教小学校の女子数十名が捜真女学校に移った[3][注 1] 。
一時帰国したサンズは1889年5月にブランド(J. C. Brand, 1848-1921)と結婚し、1890年に夫婦で来日し、東京や水戸で伝道に従事した[3]。1911年(明治44年)7月2日没[2]。