クリスタル・ゲイル

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ケンタッキー州ジョンソン郡ペインツヴィル出身。本名ブレンダ・ゲイル・ウェブ。実の姉は歌手のロレッタ・リン。ブレンダが幼い頃、家族でインディアナ州に移る。

ロレッタのツアーへの参加を経て、デッカ・レコードとの契約を得る。同じく同社と契約していたブレンダ・リーとの混同を防ぐため[1]、芸名をクリスタル・ゲイルとして、1970年にシングル「アイヴ・クライド」(原題:I've Cried (The Blues Right Out of My Eyes))でデビュー。同曲は「ビルボード」誌のカントリー・チャートで23位となった。ただし、デッカはクリスタルがロレッタ・リンの妹であることを強調して売り出したため、クリスタルは不満を抱いていた[2]

1974年プロデューサーのアレン・レイノルズと出会い、ユナイテッド・アーティスツ・レコードに移籍。翌年、ファースト・アルバム『クリスタル・ゲイル』発表。1977年、シングル「瞳のささやき」(原題:Don't It Make My Brown Eyes Blue)がカントリー・チャート1位、ポップ・チャート2位の大ヒットとなり、グラミー賞のベスト・カントリー・ソング部門とベスト・カントリー・ボーカル・パフォーマンス(女性)部門を受賞した[3]。同曲を収録したアルバム『水晶の恋人』もカントリー・チャート2位、ポップ・チャート12位を記録。1978年11月11日日本武道館で行われた世界歌謡祭のショータイムに出演[4]

1979年のアルバム『夢のふれあい』を最後に、クリスタルはユナイテッド・アーティスツを離れ、以後様々なレーベルから作品を発表。また、1982年には、トム・ウェイツと共に映画『ワン・フロム・ザ・ハート』のサウンドトラックに参加した。1983年には、カナダのTVシリーズ『SCTV Network 90』に女優として出演[5]

1990年のアルバム『エイント・ゴナ・ウォリー』では、ユナイテッド・アーティスツ時代の盟友アレン・レイノルズを再びプロデューサーに起用。アルバム『Someday』(1995年)ではゴスペルに挑戦した。

ディスコグラフィー

脚注

外部リンク

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