クリストファー・マーロウ
イングランドの劇作家 (1564-1593)
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生涯
イングランド東部の都市、カンタベリー出身。貧しい靴屋の子として生まれるが奨学金を受けてケンブリッジ大学に入学。聖職者となることを期待されるが、マーロウ自身は聖職や神学に興味を示さず、もっぱら文学に傾倒した。大学入学直後から戯曲執筆をはじめており、『カルタゴの女王ダイドー』は在学中に書かれたものといわれる。またローマ時代の詩人オヴィディウスの「恋愛詩集」や、ルカヌスの「ファルサリア」第一部の英訳も行っている。
1587年7月に大学卒業。このとき度重なる長期欠席や国家転覆の陰謀に関与したという噂のため、修士号授与を取り消されそうになるが、高官のコネを使って切り抜ける(詳しくは次節参照)。卒業後、文筆活動を本格的に開始した。
劇作家としての最初の成功は、1587年に上演した『タンバレイン大王』によって得られた。これは中央アジアの征服者ティムールの生涯を題材とし、野心と征服欲をテーマとする伝奇悲劇である。直後には同作品の第二部を発表した。次作は正確には不明だが、ドイツのファウスト伝説を元に執筆した『フォースタス博士』と言われている。この作品は当時の主流スタイルである五幕物で、ファウストを題材にした戯曲としては世界初と言われている。ほかに金銭欲の権化であるユダヤ人バラバスの策謀と破滅を描いた『マルタ島のユダヤ人』、サン・バルテルミーの虐殺を素材とした『パリの虐殺』、そして『エドワード二世』がある。これらの正確な執筆年代はすべて不明である。
一時同居していたというトマス・キッドをはじめ、ロバート・グリーン、トマス・ナッシュ、ジョージ・チャップマン、トマス・ワトスンなど同時代の多くの文学者と交流があった。1593年5月、居酒屋で喧嘩に巻き込まれて不慮の死を遂げたといわれる(詳しくは次節参照)。29歳であった。
謎と伝説
大学の長期休学
マーロウは1584年以降、少なくとも二度にわたり大学を無断で長期欠席した。しかもこの長期欠席のあいだに、密かにフランスへ渡り、ランスにあったカトリック教徒の秘密結社に加入し、女王打倒の陰謀に加わったという噂が流れた。これが修士号授与の際に問題とされ、大学によって事情を査問されたが、マーロウの回答は大学側を納得させるものではなかった。マーロウはとある高官(名は知られていない)のコネを使ったらしく、まもなく枢密院からマーロウが「女王のために多大な働きをした」と記した書簡が送られてきた。これによってマーロウは修士号を得ることができた。
この長期休学中に、マーロウが女王の諜報機関の活動に関与していたという説があるが、この説は一定の支持を得ている。彼が頼ったとされる高官については、諜報機関の長であったフランシス・ウォルシンガムであったと考えられており、さらに彼は単に諜報に従事しただけでなく、敵方にも情報を流す二重スパイであったという説もとなえられている。
無頼生活
大学卒業後のマーロウは荒廃した生活を送っていた。1589年には、隣人とトマス・ワトスンとの間で起きた致死事件に巻き込まれ投獄される。間もなく無罪が認められ釈放されたものの、獄中で偽金作りと接触したとみられ、釈放後に「自分は貨幣の造り方を知っており、イングランド女王と同等に製造する能力がある」と公言して回ったため、当局から警戒されてブラックリストに登録された。さらに1592年には、ロンドンで2人の巡査を脅迫したことで「再犯の際には罰金を支払う」という誓約を命じられている。加えて、当時の社会通念において極めて反社会的な思想とみなされた無神論を支持しているという噂が存在した。同様に当時大罪とされた同性愛者であったという説もあり、現在も学者の間で議論が続いているが、明確な証拠は存在しない。
謎の最期
1593年5月5日、ロンドンのオランダ人墓地に外国人襲撃を扇動する無記名文書が貼り出された。当局はこれを問題視し、5月11日に不審者の逮捕と拷問が認められた。翌日マーロウの友人トマス・キッドが捕らえられ、その住居から無神論的な言説を記した紙片が発見された。キッドはこれを、一時同居していたマーロウのものであると主張した。そこで5月18日、当局はマーロウに逮捕状を出した。彼はケント州で逮捕されたが、なぜか投獄や拷問はされず、ただ毎日枢密院へ出頭することを命じられただけであった。なお時期は不明であるが、このころリチャード・ペインズという人物が、マーロウの涜神的言動を記した長大なリストを当局に提出している。
5月30日夜、マーロウはロンドン近郊のデットフォード村の居酒屋にいた。そこでマーロウと3人の客のあいだで勘定争いの喧嘩が起き、そのひとりイングラム・フライザーがマーロウの眉間をナイフで突き刺して殺害した。
当局は一連の経緯を単なる不慮の事故として処理したが、現在では何者かによる謀殺であったとする説が有力視されている。謀殺説の背景には、マーロウが学生時代から政府の諜報活動に関与していた背景から、「口封じ」目的で抹殺されたという見解が存在する。彼を殺害したイングラム・フライザーが諜報機関の重要人物であったウォルシンガムの配下であり、事件後の審理において速やかに正当防衛による無罪判決を受けている点が、この説を裏付ける根拠とされる。また、マーロウが日頃から口にしていた無神論的な思想に基づき、当時ウォルター・ローリーを中心に結成されていたとされる進歩思想サークル「夜の学派」との関わりから、関係者の秘密を守るために殺害されたとする説も存在する。