1703年、大貴族の子としてペリゴールのロック城に生まれる。1734年に司祭に叙任され、1741年バイヨンヌ司教、1745年ヴィエンヌ大司教を経て、1746年にパリ大司教に任じられる。18世紀フランスのカトリック勢力をイエズス会と二分したジャンセニスム反対派の急先鋒の一人で、ジャンセニスムを支持する高等法院と激しく対立し、1754年に高等法院から流罪処分を受けた。
ボーモンは、ジャンセニスムのみならず同時代の哲学者をも激しく糾弾した。その主なものとしては、1758年にエルヴェシウスの『精神論』を批判する教書[1]を出し[2]、1762年にはルソーの『エミール』を批判する教書[3]を出した。『エミール』に関して、ボーモンは「自然法を覆しキリスト教の根底を破壊することを目的とした忌まわしい教義を含む」と断定している。
このうち、『エミール』批判には、翌年ルソー自身が『ジュネーヴ市民ジャン=ジャック・ルソーからパリ大司教クリストフ・ド・ボーモンへの手紙』で反論している[4]。
1768年には、前年に出版されたジャン=フランソワ・マルモンテルの歴史小説『ベリゼール』を糾弾した。
1780年、教書、書簡などが2巻にまとめられて出版された。