クリリスク
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| クリリスク ロシア語: Кури́льск | |||||
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| 位置 | |||||
| 座標 : 北緯45度13分34秒 東経147度52分36秒 / 北緯45.22611度 東経147.87667度 | |||||
| 行政 | |||||
| 国 | |||||
| 連邦管区 | 極東連邦管区 | ||||
| 行政区画 | |||||
| 管区 | クリル管区 | ||||
| クリリスク | |||||
| 人口 | |||||
| 人口 | (2023年現在) | ||||
| 域 | 2,537人 | ||||
| その他 | |||||
| 等時帯 | マガダン時間 (UTC+11) | ||||
| 市外局番 | +7 42454 | ||||
| ナンバープレート | 65 | ||||
| 自治体コード (OKATO) : 64220501 | |||||
| 公式ウェブサイト : http://kurilsk.sakh.com/ | |||||
クリリスク(ロシア語: Кури́льск[1])は、千島列島の択捉島に存在する都市の一つである。
現在ロシア連邦政府が当地をクリル管区の一部として実効支配しているものの、日本政府は北海道根室振興局紗那郡に属する紗那村であるとし、領有権を主張している。
歴史
現在のクリリスクの地には紀元前2千年紀よりアイヌ民族が定住していたことが知られている。アイヌ人はこの土地をシャナ(アイヌ語で川の下流の集落の意味)と呼称していた。そしてロシア支配下でもシャナ(ロシア語: Сяна)と呼ばれた。ロシアの植民者が18世紀後半に初めて択捉島に訪れた。日本は測量等の目的で1800年に駐屯地を設置した。当地での日露の植民者間に走った緊張が日露和親条約という結果を生み、以降南千島は正式に日本の領土となり、この状態が第二次世界大戦の頃まで続いた。
1945年に終わりを告げる日本統治下において、紗那村は択捉島の中心地であった。1945年8月15日、同村の人口は1,001人であった[2]。
1947年、ロシア人の占領後この町はクリリスクという名前になり、同時に町制を施行した。なお、全ての日本人は追放されていた。日本政府はこの町が合法的に成立したとは認めておらず、北海道根室市役所では2015年現在も紗那村の戸籍の管理をしている。
2023年11月20日、ウラジオストクとクリリスクを週1回往復するロシア連邦のオーロラ航空による旅客便が同年12月6日に就航することが発表された[3]。