クン・テムル
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生涯
クン・テムルの出自について、『蒙古源流』を始めとするモンゴル年代記は先代のエルベク・ハーンの子とし[注釈 2]、ティムール朝で編纂されたペルシア語史料はアリクブケ家の人間であると記す。但し『蒙古源流』が伝えるクン・テムル前後の系図は信憑性が低いため、クン・テムルがエルベクの息子であることを疑問視する説もある[1]。多くの学者はクン・テムルをアリクブケ家の子孫と見ている。
モンゴル年代記によると、卯年(1399年)に先代ハーンであるエルベクが殺害された後、ハーン位に即いたという[注釈 3]。
1400年(建文2年)には燕王朱棣(後の永楽帝)が靖難の変の最中、「韃靼可汗クン・テムル(坤帖木児)」と「オイラト(瓦剌)王モンケ・テムル(猛哥帖木児)」に使者を派遣した[2]。オイラト王モンケ・テムルの出自については諸説あるが、モンゴル年代記において先代のエルベク・ハーンを弑逆したオゲチ・ハシハであるという説がある[1]。
モンゴル年代記によると、午年(1402年)にクン・テムルは亡くなった。モンゴル年代記に記述はないが、明朝の記録によると同年に鬼力赤(オルク・テムル・ハーン)がハーンに即位している[注釈 4]。