グダニスク - スタルガルト線

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路線記号 202, 250(SKM緩行線)
グダニスク - スタルガルト線
基本情報
ポーランドの旗 ポーランド
起点 グダニスク中央駅
終点 スタルガルト駅
路線記号 202, 250(SKM緩行線)
路線番号 380, 451, 452
開業 1859年6月1日
全通 1870年9月1日
運営者 ポーランド国鉄
路線諸元
路線距離 334 km
軌間 1435 mm(標準軌
線路数 単線・複線
複線区間 グダニスク - ヴェイヘロヴォ、ルノヴォポモルスキエ - スタルガルト
電化区間 全区間
電化方式 3000 V(直流
架空電車線方式
最高速度 120 km/h
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線
STR STR
ワルシャワ - グダニスク線
SBHF BHF
0.0 グダニスク中央駅
ABZg+l ABZgr
SHST STR
1.0 グダニスク造船所駅
eABZgr STR
グダニスク新港湾方面旧線
SHST STR
2.5 グダニスク工科大学駅
SBHF BHF
4.2 グダニスク・ヴジェシュチュ
STR ABZgl
グダニスク空港線
SHST STR
5.4 グダニスク・ザスパ
SHST STR
7.0 グダニスク・プジモジェ=大学駅
SBHF BHF
8.0 グダニスク・オリヴァ
SHST STR
9.3 グダニスク・ザビアンカAWFi
SHST STR
10.4 ソポト・ヴェシュチグル
SBHF BHF
11.7 ソポト
SHST STR
13.6 ソポト・カミエニポトク
STR+GRZq STR+GRZq
自由都市ダンチヒ・ポーランド旧国境(1919-1939)
SBHF BHF
15.9 グディニャ・オルウォヴォ
SHST STR
17.5 グディニャ・レドウォヴォ
SHST STR
19.4 グディニャ・ヴズグージェ
STR ABZg+l
ノヴァヴィエシヴィエルカ - グディニャ線
SBHF BHF
21.0 グディニャ中央駅
SHST STR
21.8 グディニャ・ストアチュニア
STR2 STR3u
STR+1u STR+4
ABZgr STR
ノヴァヴィエシヴィエルカ - グディニャ線
BS2+l BS2+rc BS2+r
STR STR SHST
23.7 グディニャ・グラブーヴェク
DST STR STR
グディニャ貨物駅
STR STR SHST
25.0 グディニャ・レシュチンキ
STR STR SBHF
26.2 グディニャ・グラブーヴェク
ABZqr ABZgr STR
グディニャ港方面(723)
BS2c2 BS2rc BS2r
STR SHST
27.3 グディニャ・チソヴァ
STR DST
27.7 グディニャ・チソヴァ貨物駅
STR SHST
28.7 グディニャ・チソヴァ発電所駅
ABZg+r STR
グディニャ港方面(228)
STR SHST
30.2 ルミア・ヤノヴォ
SBRÜCKE SBRÜCKE
国道DK6
BHF SBHF
31,8 ルミア
BS2l BS2r
BHF
35.5 レーダ
ABZgr
レーダ - ヘル線
HST
38.2 レーダ・ピエレシェヴォ
HST
41.0 ヴェヘロヴォ・シミエホヴォ
HST
42.9 ヴェヘロヴォ・ナニツェ
BHF
44.0 ヴェヘロヴォ
eABZgr
旧ラウエンブルク鉄道
BHF
48.6 ゴシチチノヴェヘロヴスキエ
BHF
54.6 ルジノ
BHF
59.4 ストジェビエリノルモルスキエ
hKRZWae+GRZq
ウェバ川、旧ドイツ=ポーランド国境
BHF
63.7 ボジェポレヴィエルキエ
BUE
国道DK6
BHF
70.5 ゴデントヴォ
ABZg+l
旧プルシュチュ - ウェバ線
ABZg+l
レンボルク - ビトゥーフ線
BHF
79.7 レンボルク
ABZgr
プルシュチュ - ウェバ線
HST
85.7 レシニツェ
BHF
87.8 ポゴジェリツェ
BHF
98.5 ポテンゴヴォ
HST
103.0 グウシノポモルスキエ
HST
106.0 ストジジノスウプスキエ
WBRÜCKE1
ウパヴァ川
BHF
112.7 ダンニツァ
BHF
122.3 イェジェジツェスウプスキエ
eABZg+r
旧シュトルプ鉄道
WBRÜCKE1
スウピア川
STRo
国道DK21
ABZg+r
ピワ - ウストカ線
BHF
131.2 スウプスク
STRo
国道DK6
eABZgl
旧シュトルプ鉄道
ABZgl
ピワ - ウストカ線
HST
139.6 レブリノ
BHF
144.4 シツェヴィーガンルンツェ
STR+GRZq
ポモージェ県 / 西ポモージェ県
HST
149.2 ヴジェシニツァ
BUE
国道DK6
WBRÜCKE1
ヴィエプジャ川
eABZg+l
旧コジビエ - ダルウォヴォ線
STRo
国道DK6
BHF
158.2 スワヴノ
eABZgl
旧シュラーヴェ地方鉄道
eABZgr
旧スワヴノ - ウストカ線
ABZgr
コジビエ - ダルウォヴォ線
BHF
167.2 カルヴィツェ
WBRÜCKE1
グラボヴァ川
HST
178.3 ヴィエコヴォ
BHF
186.6 スキブノ
WBRÜCKE1
ポルニツァ川
WBRÜCKE1
ウニエスタ川
STRo
国道DK6, DK11
BHF
198.3 コシャリン
ABZgr
コシャリン - ゴレニウーフ線
HST
202.9 ニエクウォニツェ
HST
207.8 ドゥノヴォ
WBRÜCKE1
ラデフ川
BHF
212.0 ノスーヴコ
HST
217.2 コシチエルニツァ
ABZg+r
シュチェチネク - コウォブジェク線
BHF
222.6 ビャウォガルト
ABZgl+xl
シュチェチネク - コウォブジェク線
hKRZWae
リズニツァ川
WBRÜCKE1
パルセンタ川
eKRZu
旧コェスリン=ベルリン鉄道線
HST
230.5 チァルノヴェンシポモールスキエ
WBRÜCKE1
モギリツァ川
WBRÜCKE1
モギリツァ川
BHF
239.1 ロンビノ
HST
246.2 ニエレプ
WBRÜCKE1
レガ川
ABZg+l
ポウチンズドルーイ - シュヴィドヴィン線
BHF
255.1 シュヴィドヴィン
WBRÜCKE1
レガ川
WBRÜCKE1
モウストヴァ川
HST
266.0 クレンプニツァ
WBRÜCKE1
レガ川
eABZgr+r
ヴォロヴォ - ヴィソカカミエニスカ線
BHF
269.7 ヴォロヴォ
BHF
276.7 ウォベス
HST
284.3 レシエンチン
ABZg+l
ホイニツェ - ルノヴォモールスキエ線
BHF
288.7 ルノヴォポモールスキエ
HST
294.4 チエシノウォベスキエ
BHF
305.9 ホチヴェル
WBRÜCKE1
クロンピエル川
BUE
国道DK20
HST
310.9 リソヴォ
BHF
316.7 トロンブキ
eKRZ
旧ザーチヒ小鉄道
WBRÜCKE1
クロンピエル川
HST
321.5 ゴゴレヴォ
ABZg+l
ピワ - ウリコヴォ線
BHF
326.3 ウリコヴォ
STRo
国道DK10
WBRÜCKE1
イナ川
ABZg+l
ポズナン - シュチェチン線
STRo
国道DK10
BHF
333.7 スタルガルト
STR
ポズナン - シュチェチン線

グダニスク - スタルガルト線ポーランド語:: Linia kolejowa Gdańsk–Stargard)はポーランド共和国ポモージェ県の県都グダニスク西ポモージェ県スタルガルトを結ぶ幹線鉄道路線で、オーデル川以東の「東ポメラニア(Hinterpommern)」で重要な路線であった。1859年から1870年までベルリン=シュテティン鉄道会社ドイツ語: Berlin-Stettiner Eisenbahn-Gesellschaft, BStE)がこの路線を建設して、ベルリン - ダンチヒ(現在グダニスク)間に別の鉄道連結を形成した。

スウプスク駅舎の待合室(1869年)

私鉄のベルリン=シュテティン鉄道株式会社は1836年に設立された。1846年までBStEは鉄道をシュテティン(現在シュチェチン)からシュタルガルト(現在スタルガルト)まで延長した。ポンメルン地方の鉄道建設は国家の債務利子保障の条件で実行された。1859年6月1日にBStEはシュタルガルトからコェスリン(現在コシャリン)までの135 km区間を開通した。同じ日に分岐線のベルガルト(現在ビャウォガルト) - コールベルク(現在コウォブジェク)間も開業された[1]。ポンメルン地方の幹線鉄道は1869年7月1日にシュトルプ(現在スウプスク)まで延長された[2]。1870年7月1日にダンチヒ - ツォポト(現在ソポト)間が開通されて[3]、BStEの鉄道網はプロイセン東部鉄道管理局の路線と接続できた。およそ120 kmの残り区間工事は同年9月1日に終了した[4]

1879年6月に鉄道会社はプロイセン政府に売却されて、この路線は他のBStE路線と同じくプロイセン王立鉄道(略: K.P.St.B.)に引き受けられた。

1912年以降ダンチヒ・ツォポト・グディンゲン(現在グディニャ)の三市地域(ポーランド語:: Trójmiasto)で通勤電車向けの線路建設は始まったものの、第一次世界大戦のため中止された。

戦後、ヴェルサイユ条約により現在のソポト市境界線とグロースボシュポル(現在ボジェボルヴィエイラキエ)の境界線区間はポーランドに帰属した。ツォポトとダンチヒは自由都市ダンチヒに統合された。ポーランドとヴァイマル共和国間の国際列車は少なくなった。1920年にダンチヒ管理局は解体されてポーランドと自由都市区間は新生のポーランド国営鉄道(略: PKP)が引き受けた。PKPは旧管理局組織を継承した[5]

1939年9月1日にナチス・ドイツがポーランドを侵攻して、ベルサイユ条約により放棄したポーランド領土を占領した。第二次世界大戦の間にはドイツ国営鉄道(略: DR)が全線を運営した。1945年終戦後、オーデル・ナイセ線は新しい国境とひて画定されたので、全線の運営はPKPにより継承された。

終戦直後にPKPはベルリンSバーン車両を戦争賠償として引き受けて、グダニスク都市圏の通勤電車系統へ投入した。1950年以降、通勤電車の専用線路は直流800 Vの電車線と共に設置されて、1956年までグダニスク - グディニャ間の線路は複々線で拡張された。1957年に直流800 Vの電車線は同じくグディニャ - ヴェイヘロヴォ間にも設置されて、Sバーンに当たる都市急行鉄道網(Szybka Kolej Miejska, SKM)の系統はヴェイヘロヴォ駅に延長された。

1969年に三市地域区間で電力システムは直流3000 Vに導入されて、その電車線はグダニスク - グディニャ間の遠距離列車向けの線路およびグディニャ - ヴェイヘロヴォ間に備えられた。1976年にグダニスク - グディニャ間緩行線の電車線は直流800 Vから直流3000 Vに置き換えられた。スタルガルト - ヴェイヘロヴォ間の電車線は1986年から1989年まで設置された。

参考文献

外部リンク

脚注

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