グライムソープ・コリアリー・バンド
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バンドの活動は設立の翌年、ベルビュー動物公園 (Belle Vue Zoological Gardens) でのコンテスト出場に始まり、1932年にはじめてラジオで演奏が放送され、1941年から1951年までの毎月、英国国営ラジオ (UK national radio) で演奏が放送された[2]。
1950年代から1972年まで、ジョージ・トンプソン (George Thompson) がバンドのリーダーで、指揮も行っており、この期間にブリティッシュ・オープンでの最初の優勝を果たしている。その後プロの指揮者兼音楽監督としてエルガー・ハワース (Elgar Howarth) が就任した。1974年にはブラック・ダイク・ミルズ・バンドとともに、ブラスバンドとして初めてBBCプロムスに出演した。
1980年代には炭坑が経営不振に陥る中、バンドは活動を続けていたが、1992年10月13日にグライムソープ炭坑は閉鎖になった。その逆境の中、1992年10月17日にロイヤル・アルバート・ホールで行われた全英ブラスバンド選手権大会で100点満点中の99点をマークし、伝説的な優勝を勝ち取った。
グライムソープ炭坑の閉鎖後、バンドは RJB鉱山 (RJB Mining、後の UK コール (UK Coal plc)) の支援を受けて活動を続けた。その後スポンサーはパワーフューエル社 (Powerfuel) に変わっている。
初演
グライムソープ・コリアリー・バンドは、20世紀における重要なブラスバンド作品をいくつか初演している。
- グライムソープ・アリア (Grimethorpe Aria)、ハリソン・バートウィッスル (Harrison Birtwistle) 作曲
- ラグタイムとハバネラ (Ragtimes and Habaneras)、ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ (Hans Werner Henze) 作曲
その他、マルコム・アーノルドのいくつかの作品など。
ポップス
グライムソープ・コリアリー・バンドはポップスやロックの録音にも参加している。代表的なものはロイ・ハーパーの1975年のアルバムHQ (en) に収録されている When An Old Cricketer Leaves The Crease (en) やピーター・スケラーン (Peter Skellern) の1978年のヒット・シングル Love is the Sweetest Thing などである。またザ・ビューティフル・サウスが1996年にリリースしたいくつかの曲で録音に参加しており、シングル盤のボーナス・トラックとして収録されている。
映画との関わり
受賞歴
- 全英ブラスバンド選手権大会優勝 - 1970, 1992, 2006, 2007年[4]
- イングランド・ブラスバンド選手権大会優勝 - 2007年[5][6], 2008年[7]
- ヨークシャー大会優勝 - 1963, 1967, 1973, 1983, 1991, 1995, 2005, 2006.[2]
- ブラス・イン・コンサート優勝 - 1977, 1979, 1980, 1981, 1983, 1986, 1993, 1994, 1999, 2001 から 2005年[2]
- 鉱山バンド大会優勝 -1967, 1968, 1969, 1973 から 1980, 1983, 1985 から 2002年[2]
- ブリティッシュ・オープン優勝 - 1969, 1984, 1991年[2]
- グラナダ・バンド・オブ・ザ・イヤー - 1972, 1973, 1976, 1977, 1981, 1985年[2]
その他の大会
代表的なメンバー
- ロバート・ウェスタコット (Robert Westacott) - 首席コルネット
- マイケル・ドッド (Michael Dodd) - ソロ・ユーフォニアム
- ケヴィン・クロックフォード (Kevin Crockford) - ソプラノ・コルネット
- アンドリュー・ホームズ (Andrew Holmes) - フリューゲルホルン
- スコット・ベネット (Scot Bennett) - ソロ・ホーン
- ゲイリー・マクフィー (Gary MacPhee) - トロンボーン
- マイケル・ウェルズ (Michael Wells) - バリトン
- ショーン・クラウサー (Shaun Crowther) - E♭バス