グラハム・シンプソン

From Wikipedia, the free encyclopedia

グラハム・シンプソン
生誕 (1943-10-13) 1943年10月13日
出身地 イングランドの旗 イングランド マンチェスター
死没 (2012-04-17) 2012年4月17日(68歳没)
ジャンル グラムロックアート・ロックブルースジャズ
職業 ミュージシャン
担当楽器 ギター、ベース
共同作業者 The Junco Partners
The Gas Board
Cook-A-Hoop
ロキシー・ミュージック

グラハム・シンプソンGraham Simpson1943年10月13日 - 2012年4月17日)は、イングランドロックバンドロキシー・ミュージックの創設メンバーである。

シンプソンはマンチェスター出身で、ブリストルエディンバラで育った。ヴァイオリン、チェロ、ギターの演奏に秀でていた[1]

ニューカッスル大学で学ぶ傍ら、ザ・ガス・ボード(The Gas Board)という8人編成のバンドでベースを担当してライヴ活動を行なった[2][注釈 1]。メンバーには、後に一緒にロキシー・ミュージックを結成したブライアン・フェリー[注釈 2]ザ・スミスデビュー・アルバムをプロデュースしたジョン・ポーター、映画監督になったマイク・フィギスがいた。

その後、ロンドンに移って音楽関係の仕事に就いた。やがてロンドンに移ってきたフェリーにピアノを貸して、練習したり曲を書いたりする手助けをした[3]。1970年冬にフェリーが音楽で身を立てようとバンド・メンバーを募集し始めると、シンプソンはベーシストとして参加した。彼等のバンドはロキシー・ミュージックを名乗り、1972年2月14日にE. G. レコードを運営するE. G. マネージメントと契約した[4]

シンプソンのベースの音色は、ファースト・アルバム『ロキシー・ミュージック』(1972年)の「レディトロン」や「チャンス・ミーティング」などの収録曲で際立った貢献をしている。しかし彼は1972年4月母親を癌で失って鬱に苦しんだ[5][6]。フェリーはアルバムが発表されて間もなく、彼にとどまるか休みを取るかを自由に選択させた。彼はバンドを去り、二度と戻らなかった[7][8]

彼は様々な文化や宗教、特にスーフィズムについて学びながらインドを初め[9]世界中を旅した。1982年にロンドンへ戻り、印税収入を土台に生活した[7]

2010年、彼を取り上げた短編映画"Nothing But The Magnificent"[10]ポートベロー映画祭で上映された。

2012年4月、ロンドンのラッドブルック・グローブで他界[7][11]。享年68歳。

彼は私がこれまで一緒に活動した人々の中で、最も興味深い人物の一人だった。私がミュージシャンとして成長していった初期に彼はなくてはならなかった存在で、強さと発想の柱だった。(中略)私は彼が好きだった。彼がいなかったらロキシー・ミュージックは誕生しなかった。ブライアン・フェリー。"GRAHAM SIMPSON 1943-2012"より[7]。抄訳。

2019年3月、ロキシー・ミュージックはロックの殿堂入りし、シンプソンは8名の受賞者[注釈 3]の一人に選ばれた。

映画"Mighty"

映画"Nothing But The Magnificent"の長編版である"Mighty"[12]は、ウェストロンドンのミランダ・リトル(Miranda Little)によって監督され、制作に9年が費やされた。シンプソンの元隣人で彼を発見したロンドンの謎のアーティストのサラ・クック(Sarah Cook)によるシンプソンのオリジナル・マテリアルを取り上げた。さらに、2010年夏にシンプソンのペア・ショットを一緒に撮影している。

ハリウッドの人気映画監督でシンプソンと共にザ・ガス・ボードで活動したマイク・フィギスや、フェリーを初めロキシー・ミュージックのデビュー・アルバムをシンプソンと制作したメンバーが出演した。

ディスコグラフィ

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI