ウィルバート・ハリスン

From Wikipedia, the free encyclopedia

出生名 ウィルバート・ハンティントン・ハリスン
死没
ジャンル
ウィルバート・ハリスン
出生名 ウィルバート・ハンティントン・ハリスン
生誕
死没
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間 1950年 - 1990年
レーベル
テンプレートを表示

ウィルバート・ハンティントン・ハリスン[注釈 1]Wilbert Huntington Harrison1929年1月5日 - 1994年10月26日[3] は、アメリカ合衆国R&B歌手ソングライターピアニストギタリストハーモニカ奏者[4]

1950年頃にマイアミの海軍を除隊後、ミュージシャンとして活動を始め独特のカリプソ・スタイルで人気を博す。マイアミのレーベルRockin'から1952年にシングル『This Woman Of Mine』でデビュー。1954年からはサヴォイより『Don't Drop It』をはじめ数枚のシングルをリリース。 そして1952年に作られリトル・リチャード、ハンク・バラードらも歌った『カンサス・シティ」を1959年にNYのボビー・ロビンソンのレーベル、フューリーよりリリースし大ヒット。その後も多くの優れたシングルをリリースするもサヴォイとの契約問題を引きずりヒットはなかった。1969年、SUEよりリリースした 『Let's Work Together』がヒットし、キャンド・ヒートブライアン・フェリーもカヴァー。この後も1971年『Wilbert Harrison』(ブッダ)やアラン・トゥーサンがプロデュースした76年『Soul Food Man』(チェルシー)などアルバムをリリースしライブ活動も行うが大きな注目を集めることはなかった。1994年死去。[5]

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI