グランドサロン十三
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1969年に開店した[1]。当時の風俗営業法で規定されていた「キャバレー」は、単にホステスが客と飲むだけではなく、ダンスフロアやバンドが演奏できるステージをそなえた広い建物であり、高度経済成長の時期には豪奢な内装のキャバレーがいくつも作られた[2]。このようなステージのあるキャバレーの中でもとくに大きいものをグランドキャバレーと呼称しており、グランドサロン十三はそうしたグランドキャバレーのひとつである[3]。
開店時のオーナーである宮田静長はもともと第二次世界大戦後の混乱期に大分から出てきて寿司屋を営んでいたが、娯楽事業の将来性を感じ、事業を拡大して十三近辺でキャバレーの他居酒屋、金融業、性風俗店などを手広く営むようになった実業家であった[2]。静長は「理想のグランドキャバレーを築き上げるために、やりたいことをすべて[4]」やろうとしたという。こうした創業者の肝いりで、グランドサロン十三は多額の費用をかけて特注した調度品で飾られた非常に豪華な内装の店となった[1]。静長は他にもいくつか小さいサロンを経営していたが、グランドサロン十三がもっとも金をかけた旗艦店として機能していた[2]。開店当時の十三は、1970年に吹田市で開催された日本万国博覧会の準備作業をしていた労働者の他、武田薬品工業の関係者などの男性が遊びにくる一大歓楽地であった[2]。

開店当時は2階席も含めて連日満席、列ができるほどの賑わいであったという[3][5][6]。最初は万博の道路工事関係者などが多かったという[4]。ステージでは生バンドの演奏やさまざまな芸人、ストリッパーなどによるショーが行われていた[7]。演歌歌手なども出演していた[8]。この頃はホステスが200人ほど在籍していたという[2]。開店時は関西最大規模のキャバレーと銘打っていた[9]。
1972年には大阪市内で千日デパート火災が発生したため、グランドサロン十三をはじめとする十三のキャバレーやサロンの間でも防火に対する意識が高まり、1981年には十三ホステス消防隊が結成された[10]。

時代の変化によってキャバレーは人気を失い、2010年代には全国で昭和期のキャバレーの閉店が相次ぎ、グランドサロン十三の経営も不振となった[1]。1970年代頃にはジャズの生演奏ができるキャバレーが十三付近だけで10軒前後あったが、2012年時点ではグランドサロン十三しかなくなっていたという[11]。
2020年初めに、静長の息子で鉄道会社に勤務していた宮田泰三がグランドサロン十三の事業を継承した[12]。同年に初代の静長は死亡している[2]。二代目を継いだ泰三はこの時までJR西日本のお客さまセンターや駅員教育の仕事をしており、夜遊びもほとんどしたことがなく、事業継承の話が出た2019年に初めてグランドサロン十三の店内に入ったという[5]。泰三はもともと地域貢献やまちづくり関心があり、地域に根ざした営業を目指して経営立て直しを行うこととなった[1]。鉄道会社勤務であったため、「わざわざ電車に乗っていく、旅の目的地」となることを目指して新しい営業方針を立てた[5]。キャバレーを「文化施設」「観光資源」として考え、「老若男女に開けた場所」となるようにつとめたという[13]。料金体系をより明瞭なものにし、その他のルールも顧客にわかりやすいよう変更した[12]。泰三が店を継いだ時点では客席のソファの割けた箇所がガムテープでとめられているなど建物全体が極めて老朽化したまま放置されていたが、新型コロナウイルス感染症の流行による休業期間に大規模改修を行った[12]。修復後も「ほぼ開店当時のまま」の内装に見えるようにしているという[6]。この時に改修されるまではトイレが男女共用であった[12]。休業中、所属ホステスには経済的なバックアップを行った[12]。

2021年の秋からは貸し会場としての営業も本格的に行うようになった[12]。2021年9月にはソーシャルディスタンスに配慮しつつキックボクシング興行『SUPER KICK S-1』に会場を貸し出した[14]。2023年にはきゃりーぱみゅぱみゅファンクラブイベントにも貸し出されている[1]。イベントを実施すると参加者がSNSで写真を拡散するため、これが評判の向上につながったという[6]。
キャバレー営業は衰退気味で経営不振であったが、てこ入れのため2023年11月以降はグランドサロン十三主催でキャバレーショーを実施しており、バーレスクパフォーマンスのショーなどに継続的に行っている[12]。2023年時点では35人ほどのホステスが在籍していた[2]。

2024年に宮田泰三は貸し会場業務責任者であったアシスタントのマリアと結婚し、夫婦で経営を行うようになった[12]。キャバレーは未成年者のイベントには貸し出せないため、貸し会場業務をキャバレーと分けて行うため専門の会社「テサム」を作り、未成年者である高校生以下の発表会などにもグランドサロン十三を使用できるようにしている[12]。また、マリアの音頭取りで大阪フィルム・カウンシルにも登録し、映像作品の撮影場所としても貸し出すようになった[1]。2025年時点では貸し会場のみで年商1000万円を超える収入があるという[12]。
営業
宮田グループで残っているキャバレーはグランドサロン十三のみであり、建物は自社ビルで上に本社営業部がある[2]。毎週火曜日から土曜日まではキャバレーとして営業し、日曜日と祝日は貸し会場として使用できる[10]。ホステスは全員が個人事業主扱いで、若い女性ホステスは少なく、勤務しているホステスの平均年齢は50代から60代である[2][3]。80代のホステスも働いている[4]。既に廃業してしまった他のキャバレーから移籍してきて勤務する者も多い[13]。話術や親しみやすさが売りで、60代から70代のホステスが人気だという[9]。年配のホステスには人生相談などをする客もいる[8]。客の平均年齢も60代くらいである[3]。このため年金支給日は常連が多く、一番混雑するという[5]。
営業時間帯以外は他のイベントに貸し出しが可能であり、結婚式をあげることもできる[15]。地域で開催される美術展の支援なども行っている[14]。貸し会場営業を始めてからは映像作品のロケ地として人気が出たため、キャバレー営業日にひとりで来店する女性客も増えているという[7]。




