グレアム・シャープ
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| 名前 | ||||||
| 本名 | グレアム・マーシャル・シャープ | |||||
| ラテン文字 | Greame Sharp | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1960年10月16日(64歳) | |||||
| 出身地 | グラスゴー | |||||
| 身長 | 185cm | |||||
| 体重 | 72kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW(CF) | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1978-1980 |
| 40 | (17) | |||
| 1980-1991 |
| 322 | (111) | |||
| 1991-1997 |
| 107 | (30) | |||
| 1997-1998 |
| 12 | (2) | |||
| 代表歴 | ||||||
| 1982 |
| 1 | (1) | |||
| 1985-1988 |
| 12 | (1) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 1994-1997 |
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| 1997-1998 |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
グレアム・マーシャル・シャープ(英語: Greame Marshall Sharp、1960年10月16日 - )は、スコットランドの元サッカー選手、サッカー指導者。元スコットランド代表。選手時代のポジションはFW。
エヴァートンの黄金時代のストライカーとして知られている。さらにエヴァートンでは426試合159得点というディキシー・ディーンに次ぐ歴代2位、戦後の選手としては歴代1位の得点記録を有している[1]。
エヴァートン
1978年にダンバートンFCで選手になり、1980年に12万ポンドでエヴァートンFCに移籍。当初はトップチームに定位置を確保出来ず、初のシーズンは6試合出場に止まった。しかし、ハワード・ケンドールが監督に就任するとレギュラーとして起用され29試合で15得点、その後も活躍を続け、1970年以降勝利出来なかったアンフィールドでも1984年10月の試合で彼の得点で1-0とし勝利を記録した。
タイトルとしては、1984年のFAカップでは決勝で彼も得点を記録し優勝を記録した他、1985年と1987年にはイングリッシュ・フットボールリーグ優勝、そしてUEFAカップウィナーズカップ 1984-85で優勝を記録、「グレーテスト・エヴァー・チーム」と称されるエヴァートンの黄金時代の看板選手であった[2]。
1986年にゲーリー・リネカーがFCバルセロナに移籍すると、彼はポール・ウィルキンソン、エイドリアン・ヒース、ワイン・クラークらとコンビを組んで得点を取った。その後200万ポンドでトニー・コッティが移籍してきて彼とコンビを組んだ。
マイク・ニューウェルが移籍してきてもレギュラーの座は譲らなかった。しかし得点力は1989-90シーズンは33試合6得点、一時期は首位を走っていたもののライバルのリヴァプールFCにタイトルを奪われ6位、翌1990-91シーズンは27試合3得点と落ち込み、彼を見出したケンドール監督が1990年11月に復帰してきたものの、最早構想外となった。エヴァートンはコッティとニューウェルを中心に攻撃を組み立てていく事になった。
オールダム・アスレティック
1991年、68年ぶりに1部に舞い戻ったオールダム・アスレティックAFCに50万ポンドで完全移籍。1991-92シーズンを17位で終えてプレミアリーグの初代メンバーとなった。翌シーズンも得失点差で残留しFAカップでは準決勝に進出した。しかし1993-94シーズンを以て降格した。
1994年11月、ジョー・ロイルがエヴァートンの監督に就任すると、選手兼任監督として指揮を執る事になり中位で終えた。オフシーズンにマイク・ミリガンを引き抜かれたのは痛く、翌シーズンは18位、1996-97シーズンには降格した。
バンガー・シティ
1997年にカムル・プレミアのバンガー・シティFCの選手兼任監督に就任。カムル・クパンで優勝した。
代表歴
1985年から1988年にかけて12試合の代表出場経験がある。1986 FIFAワールドカップのメンバーにも選出されており、ウルグアイ代表戦で出場した[3]。代表では1得点も記録しており、マルタ代表からの得点である。