グレゴリオ・デ・セスペデス
From Wikipedia, the free encyclopedia
マドリード生まれ。1569年イエズス会に入会し、1575年ポルトガル領インドのゴアで司祭となった。
1577年(天正5年)長崎に来着、大村で日本語を学んだのち、岐阜・大坂など各地で布教にあたった。1587年(天正15年)大坂の教会で細川忠興の正室・細川ガラシャの入信を取り計らい、指導司祭となった。
同年の豊臣秀吉によるバテレン追放令で平戸へ移った。1592年(天正20年)の文禄の役では小西行長軍に従軍し朝鮮へ渡った。布教には至らなかったものの、記録に残るキリスト教宣教師として初めての朝鮮入りであった。その際、日本軍が朝鮮から多数の戦利品を持ち去ったことを、イエズス会日本準管区長にあてた書簡で批判している。
関ヶ原の戦いで忠興が豊前国を領すると、1601年(慶長6年)小倉にレジデンシア(Residência、住院、宣教師駐在所)を創設、ガラシャの命日には追悼ミサを執り行った。病を得て1611年(慶長16年)11月小倉で急死した[1][2]。
脚注
参考文献
- 金学俊 著、金容権 訳『西洋人の見た朝鮮』山川出版社、2014年。
カトリックの来日宣教師(1549年 - 18世紀) | |
|---|---|
| 日本のキリスト教史 | |
| イエズス会 | フランシスコ・ザビエル · コスメ・デ・トーレス(1549) · ルイス・デ・アルメイダ(1552) · ガスパル・ヴィレラ(1556) · ルイス・フロイス(1563) · フランシスコ・カブラル (1570) · オルガンティノ(1570) · ガスパール・コエリョ(1572) · ジョアン・ロドリゲス(1577) · グレゴリオ・デ・セスペデス(1577) · アレッサンドロ・ヴァリニャーノ(1579) · ペドロ・ゴメス(1583) · ジョバンニ・ニコラオ(1583) · カルロ・スピノラ(1602) · セバスティアン・ヴィエイラ(1604) · クリストヴァン・フェレイラ(1609) · ディエゴ・コスタ(1609) · ジュゼッペ・キアラ(1643) |
| フランシスコ会 | ジェロニモ・デ・ジェズス(1594) · ルイス・ソテロ(1603) |
| ドミニコ会 | ディエゴ・コリャード(1619) |
| その他 | ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ(1708) |
| 関連事項 | |
|
| |
この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。 |