グレナダの行政区画

From Wikipedia, the free encyclopedia

  グレナダ本土の教区
グレナダ本土

グレナダは6つの行政教区(Parish)と1つの属領(Dependency)に分かれている[1]

グレナダの憲法には地方自治体に関する記述がない。一方、憲法の第9章107条にはカリアク島およびプティト・マルティニーク島には独自の議会を設けることが明文化されている[2]

行政教区は主にグレナダ島(本土)に設けられている。合計は6つ。歴史は長く17世紀中頃にフランス人が設置し、18世紀には現在とほぼ同じ形となった。1763年のパリ条約によってイギリスの植民地となった際に教区の名称はすべて変更され、キリスト教の守護聖人(Saint~)に統一された。

属領はカリアク島およびプティト・マルティニーク島(別名南部グレナディーン諸島)のことを指し、グレナダ領グレナディーン諸島のうち北部の島嶼群がここに含まれる。この区分が成立したのは1935年の選挙区の設定とも言われている。それまではセント・パトリック教区に含まれていた(セント・パトリックおよびカリアク選挙区英語版)。憲法では独自の議会の設置が謳われ、1995年に議会の設置を定めた法律が成立するも、2019年時点では施行されておらず中央政府の管轄下にある[2]

一覧

#教区名英語中心地[3]面積[4]
(km2)
人口[4]
(2019年推計)
1 セント・アンドリュー教区 Saint Andrew グレンヴィル 9928,201
2 セント・デイヴィッド教区 Saint David セント・デイヴィッズ 4413,718
3 セント・ジョージ教区 Saint George セントジョージズ 6539,894
4 セント・ジョン教区 Saint John グヤヴェ 358,964
5 セント・マーク教区 Saint Mark ヴィクトリア 254,634
6 セント・パトリック教区 Saint Patrick ソーターズ 4211,158
7 カリアク島・プティトマルティニーク島 Carriacou and Petite Martinique ヒルズボロ 346,010

フランス領時代の教区

フランス領時代の教区(1756年)
教区フランス語名称の意味イギリス領となった後の動向
バセテール教区Basse Terre低地1763年にセント・ジョージ教区へ改称[5]
グラン・マルキ教区Grand Marquis侯爵フェドン反乱英語版(1795年 - 1796年)ではマーキー英語版(フランス語読みはマルキ)へ首府を移転。反乱後の1796年にセント・アンドリュー教区へ改称[6]
グラン・ポーヴル教区Grand Pauvre非常に貧しい土地1763年にセント・マーク教区へ改称[7]
ランス・ゴヤーヴ教区L'Anse Goyaveグアバの入り江1763年にセント・ジョン教区へ改称。また中心地のグヤヴェは当時の国王ジョージ3世の王妃シャーロットにちなみシャーロットタウン(Charlotte Town)へ改称したが、まもなく元の名称に戻された[8]
メグリン教区Megrin同名の町が中心地メグリンの町はフェドン反乱で破壊され、放棄された。現在のセント・デイヴィッド教区。
ソーターズ教区Sauteurs飛び降りる者植民地化の際に追い詰められた先住民族のカリブ族の一団が崖から飛び降り、集団自決した伝説に基づく。1763年にセント・パトリック教区へ改称[9]

選挙区

関連項目

脚注

Related Articles

Wikiwand AI