グレートブリテン議会

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種類
議院貴族院(上院)
庶民院(下院)
グレートブリテン議会
Parliament of the Kingdom of Great Britain
紋章もしくはロゴ
種類
種類
議院貴族院(上院)
庶民院(下院)
沿革
設立1707年5月1日
廃止1800年12月31日
前身イングランド議会
スコットランド議会英語版
後継連合王国議会
役職
庶民院院内勢力
庶民院における最終的な院内勢力(1796年)
558議席
  トーリー: 424議席
  ホイッグ: 95議席
  その他: 39議席
選挙
君主による叙爵に伴い就任
グレートブリテン貴族
単純小選挙区制
議事堂
ウェストミンスター宮殿

グレートブリテン議会(グレートブリテンぎかい、英語: Parliament of Great Britain)は、1707年合同法によりイングランド議会スコットランド議会を統合して成立したグレートブリテン王国の議会。1801年連合王国議会へ移行するまで存続した[1][2]

グレートブリテン議会は、国王貴族院庶民院から成る両院制議会であり、会議の場としては従来のイングランド議会と同じウェストミンスター宮殿が用いられた。合同条項により、スコットランドは貴族院に16人の代表貴族、庶民院に45人の議員を送ることとされた[3]

1603年王冠連合以後、イングランド王国とスコットランド王国は同一の君主を戴いていたが、両国は別個の王国・別個の議会を維持していた。17世紀から18世紀初頭にかけて、王位継承・安全保障・通商などをめぐる問題のなかで両王国の政治的合同が進み、1707年にグレートブリテン王国が成立した[1][4]

これに伴い、イングランド議会とスコットランド議会は廃され、新たにグレートブリテン議会が成立した。英国議会の公式解説によれば、新議会は1707年10月に最初の会合を開いた[1][5]

成立

合同の法的根拠は、イングランド側のUnion with Scotland Act 1706と、スコットランド側のUnion with England Act 1707である。これらにより、1707年5月1日から両王国は「グレートブリテン」の名の下に統合されることとなった[1][6][7]

1707年6月の布告では、最初のグレートブリテン議会を同年10月23日にウェストミンスターで開会することが定められた[5]

構成

グレートブリテン議会は、イングランド議会以来の制度を継承し、国王を含む議会として貴族院庶民院の二院から構成された。これは後の連合王国議会にも引き継がれる英国議会制度の基本形であった[8]

合同条項第22条では、スコットランド代表として貴族院に16人の代表貴族、庶民院に45人の議員を送ることが定められた。これにより、スコットランドは独自議会を失う一方、ウェストミンスターの単一議会へ統合された[3]

権限と活動

グレートブリテン議会は、王国全体の立法機関として、課税、通商、軍事、王位継承、帝国統治などの重要事項を扱った。英国の法令データベースでは、1707年から1800年までの法令群が「Acts of the Parliament of Great Britain」として区分されている[9][10]

18世紀後半には、北米植民地政策をめぐって同議会の活動が重要性を増した。英国議会の公式解説では、1767年のタウンゼンド諸法ボストン茶会事件をめぐる1774年のいわゆる「耐え難き諸法」など、アメリカ植民地との対立に関わる立法が同議会の下で行われたことが示されている[11]

消滅

18世紀末、アイルランド王国との合同が進められ、グレートブリテン議会はこれを承認した。1800年合同法Union with Ireland Act 1800 )は、新たな連合王国が「one and the same Parliament」により代表されると定めている[2]

これに基づき、1801年1月1日にグレートブリテン及びアイルランド連合王国が成立し、グレートブリテン議会は連合王国議会へ移行した[2]

影響

脚注

関連項目

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