グントラム金満公
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エティション家はオーバーライン地方の両岸において強力な勢力を誇っていた貴族である。グントラムはその傍系のフーゴ3世の子であり、エバーハルト4世とフーゴ4世の弟であり、アルザスとブライスガウに領地を持っていた。その領域としては、一時期はヴォージュ山脈からカイザーシュトゥール、シュヴァルツヴァルトまで至っていた[1][2]。
こうしたグントラムの所領の大部分はドイツ王によって与えられたものだった。しかし952年8月、グントラムはアウクスブルクで行われた帝国議会で「裏切りの罪」で起訴され、皇帝オットー1世に領土を取り上げられた。しかしグントラムはアルザス、ブライスガウ、アーレ川地方などを保持し、失った領土も孫たちによって多くが取り戻された。 その一人ラートボト、もしくはその子ヴェルナー1世がハプスブルク家の開祖とみなされている[3]。
11世紀に編纂されたムーリ修道院(グントラムの孫ラートボト(クレットガウの伯ランツェリンの子)の時代に創建)の記録によれば、Guntramnus Dives(グントラム金満公)という人物がハプスブルク家の祖となっている[4]。多くの歴史家はこれを認め、上述したグントラムと同一視しているが、グントラム及び初期のハプスブルク家については不明な点が多い。