ケルビーノ・アルベルティ
From Wikipedia, the free encyclopedia
イタリア中部、トスカーナのサンセポルクロに生まれた。この街は古くはボルゴ・サンセポルクロ(Borgo San Sepolcro)と呼ばれていて、アルベルティは、ボルゲジャーノ(Borghegiano)の仇名でも呼ばれた。父親のアルベルト・アルベルティ(Alberto Alberti: 1525/1526-1598)は彫刻家で、兄弟のアレサンドロ・アルベルティ(Alessandro Alberti: 1551-1596)とジョヴァンニ・アルベルティ(Giovanni Alberti: 1558-1601)は画家になった。
ローマで版画家のコルネリス・コルト(1533-1578)に学び、版画家になり、アゴスティーノ・カラッチ(1557-1602)やフランチェスコ・ヴィラメナ(Francesco Villamena: 1566-1625)の作品を研究した。1571年から1575年の間は、画家フェデリコ・ツッカリ(1542/1543-1609)やタッデオ・ツッカリ( 1529年9月1日 - 1566)の作品を版画にするなどし、その後の10年間は、ラファエロやミケランジェロ、ポリドーロ・ダ・カラヴァッジオ(Polidoro da Caravaggio)、アンドレア・デル・サルト、ロッソ・フィオレンティーノ、マルコ・ピノ(Marco Pino)、ペッレグリーノ・ティバルディ、クリストファーノ・ゲラルディといった画家たちの作品を版画にした。180点を超える版画を残した[2]。
その後、宮殿や教会のフレスコ画を描くようになった。ケルビーノ・アルベルティの代表作は弟のジョヴァンニ・アルベルティと描いたバチカン宮殿のSala Clementinの装飾画であるとされる。ローマのサンタ・マリア・イン・ヴィア・ラータ教会(Basilica di Santa Maria in Via Lata)の仕事もした。
1611年から1613年の間、アカデミア・ディ・サン・ルカの会長を務めた。1615年にローマで没した。
