ロッソ・フィオレンティーノ
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フィレンツェの生まれた。本名はジョバンニ・バティスタ・ディ・ヤコポ(Giovanni Battista di Jacopo)で通称のロッソは赤毛の髪で生まれたことによる仇名である。はじめ、フィレンツェのアンドレア・デル・サルトの工房で学んだ。同時期にヤコポ・ダ・ポントルモ(1494-1557)も同じ工房で修業していた。
1524年にローマに移り、ローマで働くが、1527年にスペイン王の軍隊によるローマ略奪のためにローマを離れた。北イタリア、ヴェネツィアを経て、1531年にフランス王フランソワ1世に招かれてフランスに赴いた。フランソワ1世を継いだアンリ2世にも仕え、フランチェスコ・プリマティッチオ(1504-1570)とともにフォンテーヌブロー城の改築に関わった。フォンテーヌブロー城の広間の壁に、フレスコ画でフランソワの生涯を描いたものが代表作である。
ロッソの影響で、フランスにフォンテーヌブロー派と呼ばれる画家のグループが生まれ宮廷で活躍した。ロッソは1540年に死去した(ジョルジオ・ヴァザーリは、根拠なく自殺と主張している[1]。
代表作
作品画像
- 『聖母被昇天の日』(1517年)
フィレンツェ、サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会 - 『十字架降架』(1521年)
ヴォルテラ美術館 - 『エテロの娘たちを守るモーセ』(1523-1527年)
フィレンツェ、ウフィツィ美術館
