ゲザ・ジチー
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ヴァーショニ=ケオ伯爵の称号を有する貴族のジチー家(Graf Zichy zu Vásony-Keö)に生まれる[2]。少年時代にフランツ・リストにピアノを学んで音楽の学習を始めるが、14歳の時に狩猟の際の猟銃の暴発事故で右手を失う。それでも左手のためのピアノ曲を作曲して演奏することにより、ピアニストとして立つ決心を固め、ピアノをリストに、作曲をローベルト・フォルクマンに師事して学業を終えた。リストは、自作を左手用に編曲して彼に献呈した。
1890年よりピアニストとして国際的に活躍し、音楽評論家のエドゥアルト・ハンスリックなどから称賛された。
1875年から1892年までハンガリー王立音楽院(現リスト・フェレンツ音楽大学)の院長を務めるかたわら、1891年から1894年までブダペスト歌劇場の監督を務めた[3](当時の同歌劇場の楽長はグスタフ・マーラーであった)。
6つのオペラ(大成功を収めた「ラーコーツィ三部作」を含む)のほかに、カンタータ《ドローレス》(Dolores)やバレエ音楽《ジェマ》(Gemma)、左手のためのピアノ協奏曲(史上初とされる)や左手のための練習曲、歌曲を遺した。3巻からなる自叙伝も上梓している。
従兄のミハーイ・ジチー(1827年 – 1906年)は画家として名を挙げた。
セオドア・イーデルは著書『片手のためのピアノ曲』において、まるまる1章をジチに割いている。
主要作品一覧
歌劇
- A vár története (1888)
- Alár (1896)
- Roland mester (1899)
- Nemo (1905)
- Rákóczi Ferenz (1909)
- Radostó (1912)
ピアノ曲
- "Valse d'Adèle"
- Allegretto Grazioso
- 左手のための4つの練習曲
- 左手のための6つの練習曲
- ヨハン・ゼバスティアン・バッハ「シャコンヌ」の編曲