ゲルツィケ公国

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ラトビアとゲルツィケ公国領
ゲルツィケ公国の位置
ポロツクとその分領公国
P:ポロツク公国
V:ヴィテプスク公国 L:ルコームリ公国
D:ドルツク公国 O:ロゴジュスク公国
M:ミンスク公国 IZ:イジャスラヴリ公国
G:ゲルツィケ公国 K:クケイノス公国
周辺の主な公国・都市
S:スモレンスク公国 KI:キエフ公国
N:ノヴゴロド公国T:トゥーロフ公国
R:リガ VI:ヴィリニュス
(ポイントは首都の位置のみ。国境線は2014年現在)

ゲルツィケ公国[注 1]ベラルーシ語: Герцыкскае княстваラトビア語: Terra Gercike)は、ゲルツィケ(現ラトビア・Jersika(lv))を首都として1190年頃から1239年の間に存在した、ポロツク公国分領公国である。統治者としてはフセヴォロド(ru)ロシア語: Всеволод / ラトビア語: Wiscewolodus)のみが知られている。

公国の歴史に関する主な情報源は、マクデブルク出身のハインリヒ・フォン・レットラント(ru)(ラトビアのヘンリー)によって書かれた『リヴォニア年代記』である。同書内では、はじめポロツク公封臣であり、後にリガ司教に従属するフセヴォロドという公の統治期について記されている。フセヴォロドは、正確な血縁関係は明らかではないが、リューリク朝・ポロツク公家(ru)(祖:イジャスラフ・ウラジミロヴィチ)の出身者と考えられている[注 2]

ラトビアのヘンリーの著述によると、フセヴォロドはリトヴァ族(ru)(現リトアニア南東部から現ベラルーシ北西部(ネマン川ドニエプル川上流域)に居住していた東バルト系部族[1][2])と同盟し、リヴォニア帯剣騎士団と戦った。しかし1209年にリガ司教の捕虜となり、リガ司教の家臣となることを認めざるを得なくなった。しかし、しばらくしてフセヴォロドはその約束を反故にし、1215年まで再びリヴォニア帯剣騎士団と戦った(公国に関する記録は1215年のものがもっとも新しい記録である)。その後、1239年には、ゲルツィケ公国領は十字軍勢力の支配下に入った。

伝説

脚注

参考文献

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