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コリエルタウウィ族

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コリエルタウウィ族(Corieltauvi、Coritani、Corieltavi)は、ローマのブリタンニア侵攻(英語版)以前からブリテン島に住み、後にローマ領ブリタンニアのキウィタスに含まれたケルト人の部族である。 現在のイギリスのイースト・ミッドランズを領土としていた。その北にはブリガンテス族、西にはコルノウィイ族(英語版)、南にはドブンニ族(英語版)とカルウェティイ族(英語版)が、東にはイケニ族がそれぞれ住んでいた。 首都は、今日のレスターにあたるラタエ・コリエルタウウォールム(英語版)であった。

コリエルタウウィ族のほとんどが農耕民であり、強固な防御施設や中央集権政府はほとんど持っていなかった。その一方で、部族単位の自治組織が連合した組織をつくっていたようである。1世紀初頭から、コリエルタウウィ族は刻印された硬貨を製造し始めた。ほとんど全てに2つの名前が刻印されており、1つの連続した硬貨には3つの名前が刻まれていることから、これらは複数の支配者を示していると考えられる。初期の硬貨に刻まれた名前は識別できないほどに短縮された形である。3つのシリーズで45年頃に鋳造された、後期の硬貨には最高位の王だとされるウォリシオス(英語版)(Volisios)の名前と共に、副王だとされるドュムノコウェロス(英語版)(Dumnocoveros)やドュムノウェッラウヌス(英語版)(Dumnovellaunus)、カルティウェリオス(英語版)(Cartivelios)の名前が刻まれている。コリエルタウウィ族は拠点となる硬貨製造所を有しており、その拠点は現在のスリーフォード(英語版)にあったと考えられている。

コリエルタウウィ族の薄金色のスタテル(硬貨)
表:馬のアイコンと文字 裏:小麦の束のアイコン
現在はヨークシャー博物館(英語版)に収蔵されている、ウォーキントン(英語版)付近で発見されたスタテル

2000年にハラトン(英語版)で発見された財宝ハラトン・トレジャー(英語版)は、それまでに発見されていたコリエルタウウィ族の硬貨の総数の2倍以上であった。 2014年、コリエルタウウィ族の金や銀でできた26枚の硬貨がダービーシャーのレイナーズ・キッチン洞窟内で発見された[1]。コリエルタウウィ族に帰属する硬貨はウェールズのアングルシー島にあるスランゴイド(英語版)で発見された。金でできた15枚の硬貨は、2021年7月から2022年3月の間で金属探知機によって発見された[2]。

ローマ時代

ブリタンニアのローマ街道の地図

1世紀頃、首都ラタエはローマ支配下に置かれ、軍駐屯地になったとされている。しかし、当時の要塞跡はフォス街道(英語版)沿い近くで発見された軍用の堀の一部に限られている[3]。 ブリタンニアのローマ街道(英語版)のフォス街道やウォトリング街道(英語版)、アーミン街道(英語版)はコリエルタウウィ族の領域内を通っていた。

名称

「コリエルタウウィ族」という名前は、プトレマイオスによる2世紀の著作『地理学』内で「Coritani」や「Coritavi」という形で登場する。しかし、宇宙観を示した図版ラヴェンナ・コスモグラフィ(英語版)では、「ラテ・コリオン・エルタウィオリ(Rate Corion Eltavori)という明らかに歪んだ形で書かれている。また、チャーチオーヴァー(英語版)で見つかったタイルでは、行政区が「キウィタス・コリエルタウウォールム(Civitas Corieltauvorum)」という名前で刻まれており、これはコリエルタウウィ族(Corieltauvi)を指すとされている[4][5]。

ウェールズの年代記"Brut y Brenhinedd"((ジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』の中期ウェールズ語版とされる書物)の初期英語翻訳を手がけたマンレイ・ポープは、ローマの執筆者が言及した「Coritani」と、中世ウェールズの寓話『Lludd and Llefelys(en)』に登場する不思議な種族コーラニャイド(英語版)を同一視している[6]。一方で、この説に対する現代の歴史学者による裏付けはない。

「Coritani」という名称は、レスターのアスリートクラブレスター・コリタニアン・アスリート・クラブ(英語版)の由来にもなっている。

バーネットビーの雄牛乗り

脚注

参考文献

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