1世紀
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1世紀(いっせいき、いちせいき)は、西暦元年(1年)から西暦100年までの100年間を指す世紀。1千年紀における最初の世紀である。
天文学以外では通常、西暦0年は存在せず、また0世紀もない。これは、ヨーロッパで西暦ができた6世紀の時点では、まだヨーロッパ人は零の概念を知らなかったためであると言われることもあるが、元年以前を表すために紀元前が導入されたのは零の概念が普及した後の17世紀のことである。
なお、天文学やISO 8601では、紀元1年の前年、すなわち紀元前1年を西暦0年と定めている(詳細は「紀元前1年#西暦0年」または「0年#西暦0年」を参照)。
0年代












- 紀元前後
- 倭は百余国に分かれており、その一部は前漢の楽浪郡に朝献をする(『漢書』地理志)。
- 南インドのパーンディヤ朝の都マドゥライを中心にタミル語古典文学(サンガム文学)が隆盛し王朝の記録も頻出する(サンガム時代 - 3世紀)。
- アフガニスタン北部のティリヤ・テペに黄金の宝飾をつけた遊牧系サカ・パルティア人の墳墓が作られる。
- シベリアのエニセイ川中・上流域クラスノヤルスク地方にタシュティク文化が成立( - 4世紀)。
- ポーランドのバルト海沿岸のポメラニア東部にヴィェルバルク文化が成立( - 3世紀)。
- イギリスのマンチェスター近郊のリンドウ・モス泥炭地に埋もれていたケルト系ブリトン人のリンドウ・マンはこの時代の人物。
→詳細は「0年代」を参照
- 4年 - 王莽の奏上で前漢の高祖劉邦と文帝劉恒の郊祀を行う(天子七廟制の確立)。
- 6年
- 前漢の平帝が死去、劉嬰(孺子嬰)が皇太子になり、王莽は摂皇帝と名乗る。
- 属州マケドニアから属州モエシアが分離する。
- カイサリア・マリティマを首府とする属州ユダヤが成立する。
- 8年
- 9年 - トイトブルクの戦いでローマがゲルマニア人に敗れる。
10年代
→詳細は「10年代」を参照
- 10年 - 王莽が「匈奴」を「降奴」に改名し、攻撃を開始。
- 14年 - ローマでアウグストゥス帝が死去し、ティベリウス帝が即位。
- 15年 - ローマがラエティアに遠征し、属州ラエティアが設置される。
- この時期までにヘルウェティア人の住む地域を占領しヘルウェティアと名付ける。
- 17年
- 18年 - 赤眉の乱(- 27年)
20年代
→詳細は「20年代」を参照
- 20年頃 - パルティア人ゴンドファルネスがインド・パルティア王国を建てる。
- 23年
- 25年
- 25年頃 - 「ポートランドの壺」が作られる。
- 27年 - ティベリウス帝がカプリに隠棲する。
- 29年 - 後漢の光武帝が太学を洛陽に設置する。
30年代
→詳細は「30年代」を参照
- 30年頃 - イエスがゴルゴダの丘で刑死。
- 31年 - ティベリウス帝の寵臣セイヤヌスが処刑される。
- 32年頃 - 最初のキリスト教殉教者ステパノが殺害される。
- 34年頃 - サウロ(パウロ)がダマスクスへの途上で回心する。
- 35年 - 後漢の光武帝が「天地之性人為貴」の詔を下す。
- 36年 - 後漢の光武帝が蜀の公孫述を滅ぼし中国を統一する。
- 37年
40年代
→詳細は「40年代」を参照
- 40年
- 40年頃 - ノリクムが公式にローマ帝国属州として併合される。
- 40年 - 70年 - エジプト在住のギリシア語著作家により『エリュトゥラー海案内記』が書かれる。
- この頃までに季節風「ヒッパロスの風」を利用したローマ・インド間の交易路が整備されていた。
- 41年 - ローマでカリグラ帝が暗殺され、クラウディウス帝が即位。
- 43年 - ローマがブリタンニアに遠征し、属州ブリタンニアが設置される。
- 44年 - クラウディウス帝の勅令により、属州マウレタニアが設置される。
- 46年
- ローマがオドリュサイ王国を併合し、属州トラキアが設置される。
- クラウディウス帝によりオスティア港(ポルトゥス・アウグスティ)が開港する。
- 旧港オスティア・アンティカから見てテヴェレ川の対岸に設置された新港を指す。
- パウロの第1回伝道旅行。
- 48年
50年代
→詳細は「50年代」を参照
- 56年 - 後漢の光武帝が建武中元と改元して封禅の儀式を実施。
- 57年 - 倭の奴国王が後漢に朝献して、倭奴国王印(金印紫綬)を授けられる(後漢・建武中元2、丁巳;『後漢書』光武帝紀、同東夷伝)。同年後漢の光武帝が亡くなる。
- 59年 - ネロ帝が母の小アグリッピナを殺害する。
60年代
→詳細は「60年代」を参照
- 60年 - 属州ブリタンニアのイケニ族女王ブーディカがローマ帝国に反乱を起こすも鎮圧される。
- 60年頃 - ローマ帝国属州シリアのバールベックのユピテル神殿が建てられる。
- 62年 - キリスト教のエルサレム教会の初代主教ヤコブが殉教。
- 63年 - ローマとパルティアの和平、アルサケス家のアルメニア王ティリダテス1世が承認される。
- 64年
- 65年 - ピソの陰謀事件で、セネカが加担したと疑われネロ帝に自殺を命じられる。
- 66年 - 後漢で現存最古の磨崖碑「開通褒斜道刻石 」が建立される。
- 67年 - 伝承では初めて後漢に仏教が伝わり、洛陽に白馬寺が建てられる。
- 68年
- 内戦からローマで四皇帝が乱立(四皇帝の年)。
- ガリア・ルグドゥネンシス属州総督ガイウス・ユリウス・ウィンデクスによる反乱が勃発。
- ヒスパニア・タラコネンシス属州総督のガルバ、ルシタニア属州総督オトがこれに同調。
- ローマ郊外の解放奴隷パオラの別荘でネロ帝が自殺し、ユリウス=クラウディウス朝が断絶。
- この内戦を鎮圧したウェスパシアヌス帝が即位しフラウィウス朝が成立。
- 内戦からローマで四皇帝が乱立(四皇帝の年)。
- 68年頃
70年代
→詳細は「70年代」を参照
- 70年
- 71年 - 属州ブリタンニアのローマの軍事拠点エボラクム(現ヨーク)が建設される。
- 72年 - トマス派の伝承では使徒トマスがインドのチェンナイ(マドラス)で殉教したという。
- 73年 - ローマ軍が包囲したマサダ要塞が陥落。
- 79年
80年代
→詳細は「80年代」を参照
- 80年 - ローマのコロッセウムとティトゥス浴場が完成する。
- 80年頃 - フラウィウス・ヨセフスが『ユダヤ戦記』を完成させる。
- 81年 - ティトゥス帝が死去し、弟のドミティアヌス帝が即位。
- 83年
- グラウピウス山の戦いでローマ軍がピクト人(カレドニア人)連合軍に勝利する。
- ドミティアヌス帝の命でライン川からドナウ川までの軍事境界線(リーメス・ゲルマニクス)がシュヴァルツヴァルトに築かれる。
- 85年頃 - 鮮卑が北匈奴を破る。
90年代
→詳細は「90年代」を参照
- 90年
- クシャーナ朝の王ヴィマ・タクトが後漢の班超を攻撃するが撃退される。以後クシャーナ朝は後漢に毎年貢献する。
- 属州ゲルマニアが再編され、ゲルマニア・スペリオル(上ゲルマニア・州都はマインツ)とゲルマニア・インフェリオル(下ゲルマニア・州都はケルン)に分割される。
- 90年代 - ヤムニヤ会議においてユダヤ教のヘブライ語聖書(タナハ)が確定される。
- 91年 - 後漢の竇憲の攻撃により北匈奴が康居に西走、後にこの子孫が悦般を形成。
- 92年 - 後漢の和帝が外戚で大将軍の竇憲に自殺を命じる。歴史家班固もこの事件に連座して獄死する。
- 94年 - 後漢の班超が西域諸国を制圧。
- 95年頃
- 96年 - ローマでドミティアヌス帝が暗殺され、ネルウァ帝が即位。五賢帝時代始まる( - 180年)。
- 97年 - 甘英が班超により大秦国(ローマ帝国)へ派遣される。
- 98年
100年代
→詳細は「100年代」を参照