コルトM1877
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M1877はコルト・シングル・アクション・アーミーの開発者の一人であるウィリアム・メイソンによって設計され、コルトがダブルアクション・リボルバーを製造する最初の試みであった。M1877は、アメリカ製のカートリッジ式ダブルアクションリボルバーの最初の成功作であった[1]。1877年1月から1909年まで合計166,849挺が製造され、全てのモデルが6発[1]。 。
無電解ニッケルめっきか、ブルーイングされた状態で出荷された。銃身長は2.5インチから7.5インチまで、イジェクターロッドとハウジングの有無に関わらず利用可能だった。イジェクターロッドなしの短い銃身のバージョンは、"shopkeeper's specials"として販売された[2]。
.32ロングコルト弾を使用するモデルには「レインメーカー」、同様に.38ロングコルト弾では「ライトニング」、.41ロングコルト弾では「サンダラー」という非公式な名称があった[2]これらの名前は、コルトの主要な販売業者の一人であるベンジャミン・キットレッジが考えた。キットレッジは、シングルアクション・アーミーの「ピースメーカー」、コルトM1878ダブルアクションリボルバーの「オムニポテント[注 1]」など、ニューラインモデルの様々な通称に関わっている[3]。
M1877の初期のダブルアクション機構は故障に定評があり[1]、「ガンスミスのお気に入り」というニックネームを得た。複雑な仕組みと修理の難しさから、現在でもガンスミスには嫌われている[1]。Gun Digest誌では「史上最悪のダブルアクション・トリガー機構」と評された[4]。トリガースプリングが故障するとリボルバーは単発のみになってしまう。M1877は、外見はコルトSAAによく似ているが、寸法はわずかに短く、厚みは薄くなっている。グリップは、初期のものはチェッカリングの入ったローズウッド、後のものは硬質ラバーとなった[4]。
「ライトニング」はヴィクトリア朝時代のマンチェスターの有名な探偵で、当時のCIDのトップであったジェローム・カミナーダが個人的に愛用していた。西部開拓時代の無法者ジョン・ウェズリー・ハーディンは、M1877の「ライトニング」と「サンダラー」の両方を頻繁に使用していた[1]。同様に「サンダラー」はビリー・ザ・キッドが愛用していた銃で、1881年にパット・ギャレットに殺された時にも使用していた[5][6][7]。ドク・ホリデイはニッケルメッキのサンダラーをニッケルメッキのコルトM1873と持っていた。どちらもアイヴォリーまたはパールのグリップがつけられた。