コルヴァイのヴィドゥキント

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コルヴァイのヴィドゥキント

コルヴァイのヴィドゥキントドイツ語:Widukind von Corvey, 920/5年 - 973年以降)は、10世紀中頃のコルヴァイ修道院の修道士で年代記作者。全3巻からなる『ザクセン人の事績(Res gestae Saxonicae sive annalium libri tres)』は、オットー朝統治下の10世紀ドイツにおける重要な年代記である。

ヴィドゥキントは920年から925年頃に生まれた[1][2]。ヴィドゥキントに関しては、自身の著作『サクソン人の事績』にほとんど拠っている。同時代の唯一の他の資料は、フォルクマール大修道院長時代(917年から942年)にコルヴァイ修道院に入った修道士のリストであり、ヴィドゥキントは50人の新入修道院生の中で最後から2番目として記載されている[2]。一部の学者は、ヴィドゥキントがコルヴァイ修道院の記録に「6歳から8歳の少年」として記載されていたと考え、生年は933年から935年頃ごろとしている[3]

ヴィドゥキントの正確な出自は不明であるが、コルヴァイ修道院の地位と王との密接な関係から、修道院に入るには程度の高い出自が必要だったと考えられる。したがって、ヴィドゥキントはコルヴァイ修道院と王室の双方にとって有利な支援を受けたであろう一族の出身であった可能性が高いと考えられている。ザクセンおよびザクセン人の歴史に対するヴィドゥキントの関心は、自身の一族がザクセン人であった可能性を強く示唆している[2]。ヴィドゥキントが王室と関連があった、あるいはハインリヒ1世の妃でザクセンの公ヴィドゥキントの子孫であったマティルデの家政に関与していたという主張には根拠がない[1][3]

ヴィドゥキントは940年頃にコルヴァイ修道院に入り、そこで聖人伝の著述家として文学活動を開始した[1][2][3]。ヴィドゥキントがオットー1世の伝記も書いたというシジュベール・ド・ジャンブルーの主張は誤解に基づいている[3]。ヴィドゥキントが後に主著『ザクセン人の事績』を書いた時期は不確かで議論の余地がある[1]。ヴィドゥキントは『ザクセン人の事績』の執筆を、オットー1世の母であるマティルデ王妃の命を受けて始めたと考えられている。皇帝の息子であるマインツ大司教ヴィルヘルムも後援者であったとされている。マティルデとヴィルヘルムはともに968年3月に亡くなったため、ヴィドゥキントは作品を、955年生まれのクヴェードリンブルク女子修道院長マティルデに捧げた[3]。マティルデは王妃の孫娘でオットー1世の娘である。

没年については何も情報が残っていないが、『ザクセン人の事績』が完成した後もまだ生きていたということ、そして『ザクセン人の事績』が973年5月のオットー1世の死の時点で終わっているということだけは確認できる[2][3]

『ザクセン人の事績』

脚注

外部リンク

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