コンラート1世 (マイセン辺境伯)

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在位 1123年 - 1156年
出生 1098年
死去 1157年2月5日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ラウターベルク修道院(現ペータースベルク)
コンラート1世
Konrad I.
マイセン辺境伯
ラウジッツ辺境伯
ドレスデンの「君主の行列」に描かれたコンラート1世
在位 1123年 - 1156年

称号 ヴェッティン
出生 1098年
死去 1157年2月5日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ラウターベルク修道院(現ペータースベルク)
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ラウターベルク修道院(現ペータースベルク)
配偶者 リウトガルト・フォン・エルヒンゲン
子女 一覧参照
家名 ヴェッティン家
父親 ヴェッティン伯ティモ
母親 イダ・フォン・ノルトハイム
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コンラート1世Konrad I., 1098年頃 - 1157年2月5日)は、マイセン辺境伯(在位:1123年 - 1156年)。ヴェッティン伯ティモとその妻イダ・フォン・ノルトハイム(バイエルン公オットー・フォン・ノルトハイムの娘、1083年没)との息子として生まれ、ヴェッティン伯、マイセン辺境伯、ラウジッツ辺境伯を務めた事などで、貴顕家としてのヴェッティン家の権力を確立した。大辺境伯(der Große)、敬虔伯(der Fromme)とも呼ばれる。

1125年神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世に、1130年にはロタール3世に従軍して南イタリアに出兵し、マイセン辺境伯に封ぜられた。1136年ラウジッツ辺境伯領(下ラウジッツ)も継いだ。1143年1144年とも)にはローマ王コンラート3世から、現在上ラウジッツと呼ばれるロホリッツおよびミルツェナーラントの領主権を与えられた。彼の時代以降、マイセン辺境伯領及びラウジッツ辺境伯領はフラマン人が入植し、開墾した。

子女

外部リンク

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